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update:2010.01.03 担当:山口 博数
晋書巻五十二
列伝第二十二
郤詵
人物簡介

  郤詵(生没年不詳)は字を広基といい、済陰郡単父県の人である。尚書左丞の郤晞の子。博学多才で、並はずれて優れていて、細かいことにはとらわれない性格であった。州郡からの招聘には応じなかったが、済陰太守の文立に賢良直言の士として推挙され、優秀な成績で合格して議郎になった。母の喪に服した後、車騎従事中郎や尚書左丞を歴任した。威厳があり、明解な判断を下したので、声望は非常に高かった。雍州刺史に昇進したが、在職中に卒した。

本文

郤詵字廣基,濟陰單父人也。父晞,尚書左丞。詵博學多才,瓌偉倜儻,不拘細行,州郡禮命並不應。

郤詵は字を広基といい、済陰郡単父県(1)の人である。父の郤晞は尚書左丞(2)であった。郤詵はひろく学び才能豊かで、並はずれて優れていたが、細かいことにはとらわれない性格で、州や郡からの招聘にはいずれも応じなかった。

泰始中、詔天下舉賢良直言之士、太守文立舉詵應選。

泰始年間、武帝が賢良直言の士を挙げよと天下に詔勅を下すと(268)(3)、済陰太守の文立(4)が郤詵を推挙し、この選抜に応じさせた。

詔曰:「蓋太上以徳撫時,易簡無文。至于三代,禮樂大備,制度彌繁。文質之變,其理何由?虞夏之際,聖明係踵,而損益不同。周道既衰,仲尼猶曰從周。因革之宜,又何殊也? 聖王既沒,遺制猶存,霸者迭興而翼輔之,王道之缺,其無補乎?何陵遲之不反也?豈霸徳之淺歟?期運不可致歟?且夷吾之智,而功止於霸,何哉?夫昔人之爲政,革亂亡之弊,建不刊之統,移風易俗,刑措不用,豈非化之盛歟?何修而嚮茲?朕獲承祖宗之休烈,于茲七載,而人未服訓,政道罔述。 以古況今,何不相逮之遠也?雖明之弗及,猶思與群賢慮之,將何以辨所聞之疑昧,獲至論於讜言乎?加自頃戎狄内侵,災害屡作,邊甿流離,征夫苦役,豈政刑之謬,將有司非其任歟?各悉乃心,究而論之。上明古制,下切當今。朕之失徳,所宜振補。其正議無隱,將敬聽之。」

〔選抜の試験会場で武帝からの〕詔(5)が問うた。「されば古代(6)、徳によって民を従えた時代には、なにごとも単純で分かり易く、法律や礼儀にも煩わしさが無かった(7)。〔夏・殷・周の〕三代の王朝に至って、〔秩序を保つ〕礼儀と〔心を和らげる〕音楽が大いに整ったが、国家の制度もいよいよ煩雑なものとなった。この〔外面の〕文華と〔内面の〕質朴が〔上古と三代において〕変化するが、さて其の理由はどこにあるのであろうか?虞王朝〔の舜〕から夏王朝〔の禹〕へと続く際に、聖にして明なる〔聖人天子の徳〕が受け継がれた(8)が、廃されたもの、付加されたものがあって同じものではなかった。周王朝の政治手法が最早衰えて〔過去のものとなって〕、それでも仲尼(孔子)は周〔のやり方〕に従うのだ(9)とのたまう。それでは旧制を改めることを善しとするのは、何によって正当化されるのか? 〔堯や舜など〕聖王は過去に没してしまったが、その遺制はなおも生きており、〔武力で天下を治める〕覇者(10)が次々と現われて〔政治を〕補佐するのであるが、これで〔帝王の踏むべき〕王道(11)に不足する部分を補完することにならないだろうか?何故、盛りが次第に衰えて、旧に復しはしないのか?それは覇者の徳が浅いせいなのか?めぐり合わせた〔盛りの〕時期というものは、もはや招きよせることが出来ないせいだろうか?なおかつ夷吾(12)は智恵があっても、功績は〔武力統治である〕覇道に止まったのは、何ゆえであろうか?かって昔人の行った政治は、乱れ亡びようとする弊害を断ち切り、不滅の法を建て、風俗を移しかえて〔世の中を善くし〕、刑罰はあっても用いなかったが、どうしてこれが化の盛り〔稔りある統治〕ではないとされようか?何を整備してこれに向えばよいのだろうか?朕が先祖代々の立派な功績を引き継いで、すでに七年(13)におよぶも、人びとは未だ訓戒に従わず、政治の道に発展がない。 〔堯や舜などの〕昔と今をくらべて、何故にこう様子が遠く及ばないないのか?〔この原因を〕明らかにしようとしても及ばず、多くの賢い者達とこれを考えたいと思う、さすれば聞くところの疑問点は何によって見きわめ、正当な発言から優れた主張を得ることが出来ようか?加えるに昨今は西方や北方の周辺民族が領土に侵入し(14)、災害がしばしば起こり(15)、辺境の民は居所を失い流浪し、旅人は難儀しておるが、これは政教〔の訓令〕や刑罰に間違いがあるのか、或いは役人がその任にあらざるのか?これらについて汝の考えを尽くし、残らず論述せよ。上は古の制度を明らかにし、下は現在をあい正せよ。朕が徳を失うところを、よく救い補うべし。また正論を述べて隠すことなかれ。さすればつつしんで拝聴いたさん。」

詵對曰:伏惟陛下以聖徳君臨,猶垂意於博採,故招賢正之士,而臣等薄陋,不足以降大問也。是以竊有自疑之心,雖致身於闕庭,亦僶俛矣。伏讀聖策,乃知下問之旨篤焉。 臣聞上古推賢讓位,教同徳一,故易簡而人化;三代世及,季末相承,故文繁而後整。虞夏之相因,而損益不同,非帝王之道異,救弊之路殊也。周當二代之流,承彫僞之極,盡禮樂之致,窮制度之理,其文詳備,仲尼因時宜而曰從周,非殊論也。 臣聞聖王之化先禮樂,五霸之興勤政刑。禮樂之化深,政刑之用淺。勤之則可以小安,墮之則遂陵遲。所由之路本近,故所補之功不侔也。而齊桓失之葵丘,夷吾淪于小器,功止于霸,不亦宜乎!

郤詵が問いに答えた。「伏して思いますのに、陛下は聖徳をもって君臨なされながら、なおひろく採用せんとお考えになり、賢正の士をお招きになったのですが、臣等は見識に乏しく、大問をお下しされるには〔力量〕不足ではございます。それでいささか内心に惑うものがありますが、なおこの身を宮城のお庭に運びましたからには、強いて励み努めるのみでございます。伏して陛下の策書(16)を拝読いたしますと、ご下問の志の深いことを知らされました。 臣が聞きますのは、大昔〔の堯や舜などの天子〕は徳の高い賢人を推してその位を譲ったといい、〔民を感化する〕教えを同じくし〔人としての〕徳目は一つであり、そのためなにごとも単純で分かり易く、民が教化されました。〔夏・殷・周の〕三代の王朝に至って、後世が代々受け継ぎましので、そのため法律や礼儀は煩雑になりましたが、そうしたのちに秩序が保たれました。 虞王朝〔の舜〕と夏王朝〔の禹〕は互いに親しくも、その受け継ぎには廃されたもの、付加されたものがあって同じものでなかったのは、帝王としての道が異なったのではなく、弊害の出ているところを直そうとして別なものになったのであります。 周王朝はまさに〔虞王朝と夏王朝〕二代の流れをくみ、虚飾の極まりを継承し、〔秩序を保つ〕礼儀と〔心を和らげる〕音楽とは致すところを尽くし、国家の制度のすじみちを極め、その法律や礼儀は詳らかに備わっており、仲尼〔孔子〕が時をえらんで、周〔のやり方〕に従うのだとのたまわれたのは、異論とは申せません。 臣が聞きますのは、〔堯や舜など〕聖王の教化は礼儀と音楽が先にあり、〔斉の桓公など〕五覇(17)は行政と刑罰に力をそそいで盛んになったといいます。礼儀と音楽への教化が深ければ、行政と刑罰は浅く用いてすみます(18)。これに励めばよろしくも小さな平安であるに過ぎず、これを怠れば盛りは次第に衰えてしまいます。由るところの路はもともと近くにあり、それ故に補佐するところの働きは同じではありません。しかし斉の桓公は葵丘(19)〔に諸侯を集めて談合したこと〕でこれ〔由るところの路〕を外し、〔智恵があっても〕夷吾(20)は〔桓公という〕小さな器に入り込み、その功績が覇道に止まったのも、また然るべきではなかったでしょうか。

策曰:「建不刊之統,移風易俗,使天下洽和,何修而嚮茲?」臣以爲莫大於擇人而官之也。今之典刑,匪無一統,宰牧之才,優劣異績,或以之興,或以之替,此蓋人能弘政,非政弘人也。 舍人務政,雖勤何益?臣竊觀乎古今,而考其美惡:古人相與求賢,今人相與求爵。古之官人,君責之於上,臣舉之於下,得其人有賞,失其人有罰,安得不求賢乎!今之官者,父兄營之,親戚助之,有人事則通,無人事則塞,安得不求爵乎! 賢苟求達,達在修道,窮在失義,故靜以待之也。爵苟可求,得在進取,失在後時,故動以要之也。動則爭競,爭競則朋黨,朋黨則誣彰,誣彰則臧否失實,眞僞相冒,主聽用惑,姦之所會也。 靜則貞固,貞固則正直,正直則信讓,信讓則推賢,推賢不伐,相下無饜,主聽用察,徳之所趣也。故能使之靜,雖日高枕而人自正;不能禁動,雖復夙夜,俗不一也。 且人無愚智,咸慕名宦,莫不飾正於外,藏邪於内,故邪正之人難得而知也。任得其正,則衆正益至;若得其邪,則衆邪亦集。物繁其類,誰能止之!故亡國失世者,未嘗不爲衆邪所積也。 方其初作,必始於微,微而不絶,其終乃著。天地不能頓爲寒暑,人主亦不能頓爲隆替;故寒暑漸於春秋,隆替起於得失。當今之世,宦者無關梁,邪門啓矣;朝廷不責賢,正路塞矣。得失之源,何以甚此! 所謂責賢,使之相舉也;所謂關梁,使之相保也。賢不舉則有咎,保不信則有罰。故古者諸侯必貢士,不貢者削,貢而不適亦削。夫士者,難知也;不適者,薄過也。不得不責,強其所不知也;罰其所不適,深其薄過,非恕也。 且天子於諸侯,有不純臣之義,斯責之矣。施行之道,寧縱不濫之矣。今皆反是,何也?夫賢者天地之紀,品物之宗,其急之也,故寧濫以得之,無縱以失之也。今則不然,世之悠悠者,各自取辨耳。 故其材行並不可必,於公則政事紛亂,於私則汚穢狼籍。自頃長吏特多此累,有亡命而被購懸者矣,有縛束而絞戮者矣。貪鄙竊位,不知誰升之者?獸兕出檻,不知誰可咎者?漏網呑舟,何以過此!人之於利,如蹈水火焉。 前人雖敗,後人復起,如彼此無已,誰止之者?風流日競,誰憂之者?雖今聖思勞於夙夜,所使爲政,恒得此屬,欲聖世化美俗平,亦俟河之清耳。若欲善之,宜創舉賢之典,峻關梁之防。 其制既立,則人愼其舉而不苟,則賢者可知。知賢而試,則官得其人矣。官得其人,則事得其序;事得其序,則物得其宜;物得其宜,則生生豐植,人用資給,和樂興焉。是故寡過而遠刑,知恥以近禮,此所以建不刊之統,移風易俗,刑措而不用也。

策に申された「滅ぶことのない本を建て、風俗を移しかえて〔世の中を善くし〕、天下〔の民〕を心うちとけなごませるには、何を整備してこれに向えばよいのだろうか?」につきましては、臣は人物を選んで官吏にすることより大事なことはないと思います。現在の定法に統一性がないのではなく、官僚の能力に優劣があって実績が異なるので、ある時はそのために〔国が〕栄えたり、ある時はそのために衰退したりいたしますが、これはおよそ人が政治を大きくすることができるのであって、政治が人を大きくするのではないからなのです。 人をさておいて政治を行うは、勤め励んだとしても何の益がありましょうか?臣が昔と今を観て、その美し悪しをいささか考えますに、昔の人は相共に〔才智、徳行の〕賢人を求め、今の人は爵位を求めております。昔は人を官吏にするのに、君はその責任を上にもとめ、臣下はこれを下から推挙し、人物を得れば賞し、人を誤れば罰しますので、どうして賢人を求めないですみましょうか!今は人を官吏にするのに、父兄がこれを營み、親戚がこれを助け、付け届け(21)が有れば〔その道は〕通り、無ければ塞がり、どうして爵位を求めないですみましょうか! 賢人は仮に出世を求めても、出世は道を修めるなかにあり、窮するのは義を失うなかにありとして、それゆえ静止して待っているのです。かりにも爵位を求めることが出来るのは、進んで取るから得られるのであり、機会を逃すと失なうので、それで運動をして手に入れるのです。運動すれば必ず競争になり、競争すれば必ず徒党をくみ、徒党をくめば必ず偽りや欺きがあり、偽りや欺きがあれば必ず良否の真実が失われ、まことと嘘が交錯して、主君は聴くところを惑い、不正のものの集まるところとなります。 静かにおることは正道を固守しており(22)、正道を固守すれば正直であり(23)、正直であれば誠と謙譲があり(24)、誠と謙譲があれば賢人を推挙し(25)、賢人を推挙して誇らず、相手にはへりくだって飽くことがありませんので、主君は聴くところを明かとし、その徳が発揮されるところとなります。それ故ここをよく静止すれば、昼日中であっても枕を高くし(安心して眠って)も人は自らを正しくしますし、動きを禁ずることが出来なければ、朝早くから晩遅くまで(勤められても)を重ねても、世の中は一つになりません。 そのうえ愚者も智恵者も無く、みな高官に思いをよせ、表面は正しさで飾り、内面には邪心を蔵しておるので、邪な人か正しい人かは接しても判らないのです。任命が正しい人ならば、多くの正しい人が益々至り、もし邪な人ならば、また多くの邪な人が集まります。総べてはその類を増やすものであって、誰がよくこれを止めることが出来ましょうか!それ故に国を亡ぼし御代を失うのは、多くの邪な人が集った所で無かったことはこれまでにありません。 まさに物事が初めて生ずるのは、必ずひそかに始まるのであって、ひそかに継続すれば、その終わりは著しいものです。天地もにわかには〔冬や夏の〕寒暑をなせません、人主(天子)も亦にわかには盛衰をなせません。それ故に寒暑は春、秋よりはじまり、盛衰は得るもの失うものより起るのです。 当今の世は、仕える者に関所や橋〔などの関門〕が無く、邪門が開かれています。朝廷は賢人を責め求めず、正しい路が塞っています。得るもの失うもの源は〔ひそかなれど〕、何とその〔結果は〕甚だしいものとなるのでしょうか! ここで賢人を責め求めるとは、互いに〔賢人を〕推挙させることで、関所や橋は、このことを互いに守らせるのであります。賢人を推挙しなければ過ちとし、守っていることに信用出来なければ罰を与えます。それ故に古(いにしえ)は諸侯が必ず士(26)を推薦し、推薦しなければ(領地や官職などを)削り落とし、推薦しても適格でなければ亦削り落とすのです。(27)やはり士は見分け難いもので、適任でなかったとしても過ちとしては軽いのです。責めなければならないとしたら、知らなかったことを強調し、適任でなかったことを罰するのは、その軽い過ちを深めることになり、恕(思いやり)ではありません。 そのうえ天子は諸侯に対しては、忠純の臣ならざる義があれば、この点を責めるのです。施政の道では、しかし見逃しても、それ(責めること)を乱用しないのです。現今は皆このように反対であるのは、どうしたことでしょう?やはり賢者は天地の要めであり、万物の頭であるので、この事は急ぎのことであり、それ故に乱用して賢者を得るとしても、見逃して賢者を失うことでは無いのです。現今は全くそうではなく、世間の大方の者は、各自まぎれないことを行うだけなのです。 それ故にその才能も行いも共に期待出来ず、役所の勤めでは政事をかき乱し、私生活では汚くけしからんものであります。この頃の長吏(28)には特にこういった憂いが多く、逃亡して懸賞のかかる者もおり、捕縛されて絞殺される者もおります。よく深く心卑しく地位を我が物とする、これを登用した者を誰が知らないでしょうか?獸の子を檻から出る、罪ある者を誰が知らないでしょうか?呑舟の魚を網から漏らすことさえ、どうしてこれ以上の過(あやまち)といえましょうか!人びとにとって利益とは、水火をも踏まんばかりのもの(29)です。 前の人がしくじっても、後の人は復た起き上がる、連綿として終わることがなければ、誰がこれを止めましょう?風流を日に競そうを、誰がこれを憂いましょう?いま聖思(天子)が未明から夜遅くまで努め労されても、政事を行わせる者が、いつもこの類ならば、御世をうるわしく教化し世の中の平和を望んだとしても、ただ河清を待つ(30)のと同じことでございます。もしこれを改善しようとするなら、賢人登用の規則を創り、関所や橋として〔それをすすめる〕備えを厳しくすべきです。 其の制度が確立して、初めて人びとは行動を慎みいい加減にはせず、それで賢者も知ることができるのです。賢人を知ったうえで試用すれば、官吏に人を得ます。官吏に人を得るときは、事に秩序が得られ、事に秩序が得られれば、各々におさまりがつき、各々におさまりがつくときは、則ち物みな繁栄し、人々は相い助け、和らぎ楽しむ気風が起こるのです。こうして過ちを寡くして刑罰から遠のき、恥を知り禮に近づくことが、すなわち不滅の法を建て、風俗を移しかえて〔世の中を善くし〕、刑罰はあっても用いることのない理由であります。

策曰:「自頃夷狄内侵,災眚屡降,將所任非其人乎?何由而至此?」臣聞蠻夷猾夏,則皋陶作士,此欲善其末,則先其本也。 夫任賢則政惠,使能則刑恕。政惠則下仰其施,刑恕則人懷其勇。施以殖其財,勇以結其心。故人居則資贍而知方,動則親上而志勇。苟思其利而除其害,以生道利之者,雖死不貳;以逸道勞之者,雖勤不怨。 故其命可授,其力可竭,以戰則克,以攻則拔。是以善者慕徳而安服,惡者畏懼而削跡。止戈而武,義實在文,唯任賢然後無患耳。若夫水旱之災,自然理也。 故古者三十年耕必有十年之儲,堯湯遭之而人不困,有備故也。自頃風雨雖頗不時,考之萬國,或境土相接,而豐約不同;或頃畝相連,而成敗異流,固非天之必害於人,人實不能均其勞苦。失之於人,而求之於天,則有司惰職而不勸,百姓殆業而咎時,非所以定人志,致豐年也。宜勤人事而已。

策に申された「昨今は東方や北方の周辺民族(31)が領土に侵入し、災難(32)がしばしば下るが、或いは任命に人を得ていないのか?何ゆえにこのようになったのか?」につきましては、臣は南方や東方の周辺民族が夏(中国)を乱したとき、〔舜はその臣の〕皋陶(33)を司法官としたと聞いておりますが、これは現象を改善するために、その根元対策を優先したものです。 まことに賢人を任命すると政治には恵みがあり、有能な人を用いると刑には思いやりがあります。政治に恵みがあれば、しもじもはその施しを慕い、刑に思いやりがあれば人々はその胆力に懐きます。施しは人々の財産を殖やし、胆力は心を結びます。それゆえ人々は普段の生活の時には、資産が足りて禮の道(34)をわきまえ、(事に当って)行動する時には、上に親しみ懐いて勇気を持とうとします。利益を思い害を除き、生きる道(35)を図ってくれる者へは、たとえ死んでも疑わず、安楽な道を苦労してくれる者へは、たとえ疲れても怨みません。 それゆえに命令を授けることができ、力を尽くすことができ、戦えば勝ち、攻めれば城を抜くのです。こういったことで善人は徳を慕って安心して事に従い、惡人は恐れて跡をくらまします。戈を止める〔の二字〕で武となり(36)義の実は〔節制するという〕文徳にあります(37)。もっぱら賢人を任命してその後は何ら患うことはないのです。大水や日照りの類の災害は、〔天がもたらして〕自ずと起きる節理でございます。 そこで昔は三十年耕せば必ず十年の蓄えがあったもので(38)、堯や湯王のとき災害に遭っても民が困らなかったのは、備えがあったからなのです。昨今は風雨が時ならずに頻りではありますが、万国に考えますと、或いは国境に土地を相接しながら、豊作不作と同じでなかったり、或いは百畝の相連なった田にあっても(39)、出来不出来があって流れを異にしておりますが、固より天が必ずしも人に害をなすわけでなく、人が実際のところ均しい苦労を出来ないからです。人が失敗するのに、そのせいを天に求めるのは、役人が役目を怠って勤めないからであり、庶民が仕事始めに時を違えるのであり、人の志が定まって豊年となるような理由ではありません。宜しく人事を勤めるのみであります。

臣誠愚鄙不足以奉對聖朝,猶進之於廷者,將使取諸其懷而獻之乎,臣懼不足也。若收不知言以致知言,臣則可矣,是以辭鄙不隱也。以對策上第,拜議郎。母憂去職。

臣は誠に愚かで粗野であり聖なる今上朝廷にお答え申し上げるに充分ではなく、それでもこれを朝廷に提出しましたのは、胸中の思いを出して献上せんとしたのですが、臣は十分でないことをはばかるのでございます。道理明かな言葉でないと糾されて道理明かな言葉のものを招かれるなら、臣はそれも結構であり、それで言葉は粗野ですが隠しはしませんでした。対策(論文試験)が上級にとられ議郎(40)に任じられた。母の死にあい職を去った。

詵母病,苦無車,及亡,不欲車載柩,家貧無以市馬,乃於所住堂北壁外假葬,開戸,朝夕拜哭。養鶏種蒜,竭其方術。喪過三年,得馬八匹,輿柩至冢,負土成墳。未畢,召爲征東參軍。徙尚書郎,轉車騎從事中郎。

郤詵の母は病いにあって、車の無いことを苦にしていたが、亡くなろうとするとき、柩を載せていく車はいらないと言い残した。 家の貧しさに馬を買いもとめる余裕も無かったので、そこで住んでいた堂(41)の北側の壁の外に仮に埋葬し(その塚の入口の)戸を開いておいて(42)、朝夕、拝哭(43)を行った。鶏を飼い、蒜(ノビル或いはニンニク)を植え、その育成法を極めつくした。(44)喪にあって三年を過ごし、馬八匹を入手し柩を〔車に〕乗せて塚まで運び、〔自ら〕土を背負って墳墓をこしらえた。それがまだ完成しないうちに、召されて征東參軍(45)となった。尚書郎(46)に昇進し、車騎從事中郎(47)に転任した。

吏部尚書崔洪薦詵爲左丞。及在職,嘗以事劾洪,洪怨詵,詵以公正距之,語在洪傳。洪聞而慚服。

吏部尚書の崔洪が郤詵を推薦して尚書左丞とした。しかしその職務にあっては、ある事で崔洪が官吏として罪を犯したと告発しており、崔洪は郤詵を怨んだ。郤詵は私心無く正しいことをしたのだと、これを退けたが、この話は崔洪傳にある。崔洪はそれを聞いて自分を恥じたという。(48)

累遷雍州刺史。武帝於東堂會送,問詵曰:「卿自以爲何如?」詵對曰:「臣舉賢良對策,爲天下第一,猶桂林之一枝,崑山之片玉。」帝笑。侍中奏免詵官,帝曰:「吾與之戲耳,不足怪也。」詵在任威嚴明斷,甚得四方聲譽。卒於官。子延登爲州別駕。

その後、次第に昇進して雍州刺史となった。(49)太極殿の東堂に集って送別をしたおり、武帝が郤詵に質問した、(50)「卿(そなた)は〔この度の栄転に〕自分を如何ように思うておるかね?」郤詵は答えて言った、「臣は賢良に推挙されて対策の試験では、全国で一番の成績でした。さすれば桂の林のほんの一枝か、崑山の石ひとつほどに過ぎません。(51)」帝は笑うしかなかった。侍中が郤詵の官職を罷免するよう上奏したところ、武帝が答えた、「吾はあれと戯れただけじゃ、いぶかることもあるまい。」郤詵は職務では威厳があり明解な判断を下したので、天下になかなかの声誉を得た。在官のまま卒した。子の郤延登は、州の別駕(52)になった。

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