(1)『晋書斠注』によると、『文選』「晋紀総論」注に引く干宝『晋紀』に、当時は太子太傅であった孟観が汝南王司馬亮と衛瓘が廃立を計画していると謗ったという記事がある。
(2)『資治通鑑』巻八十五「晋紀六」恵帝永寧元年三月の条には「監沔北諸軍事」とあり、労格は「沔北」とすべきとしている。宛に駐屯したことを考えると、「沔北」が正しいと思われる。
(3)孟観は天文を理解していたので、天文で情勢を分析したものと考えられる。「紫宮」は天帝のいるべき所の紫微宮のこと。「帝坐」は天市垣に属す星で、現在のヘラクレス座α星のこと。