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update:2021.02.02 担当:解體晉書
晋書巻六十一
列伝第三十一
成公簡
人物簡介

成公簡(?〜311)は字を宗舒といい、東郡の人である。代々太守を出す家柄で、記憶力に優れていた。後に中書郎となり、さらに太子中庶子・散騎常侍となったが、永嘉の混乱の中で苟晞を頼り、永嘉五年(311)、苟晞とともに命を落とした。

本文

成公簡は字を宗舒といい、東郡の人である。家は代々二千石〔の郡太守〕を任されてきた。飾り気のない性格で、栄誉や利益を求めることなく専ら道を追い求め、その志を邪魔するものはいなかった。暗唱の才能が人並み以上であった。張華は常に言っていた。「成公簡の澄んだ落ち着きは揚雄と比べられるし(1)、暗唱能力は張安世に擬えられるものだ(2)。」

後に中書郎となった。当時、周馥はすでに司隸校尉となり、鎮東将軍に移っていた。成公簡は、自分の方が才能は高いのに〔官職が〕周馥の下にあると思っていたので、周馥に言った。「揚雄は郎となると、三代に渡って移らなかった(3)。しかし、王莽(4)や董賢(5)は三司の位に並んでいた。昔も今も一緒なのだ。」周馥は非常に恥ずかしく思った。官職は太子中庶子・散騎常侍に至った。永嘉(307〜313)の末年に、苟晞のもとに逃れ、苟晞とともに亡くなった(6)

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