update:2005.10.01  担当:解體晉書
晋書巻六十一

 列伝第三十一

華軼
人物簡介
 華軼(生没年不詳)の字は彦夏といい、平原の人である。魏の太尉[音欠:016139]の曽孫で、河南尹華澹の子。博士として出仕し、江州刺史などを歴任した。礼典を重視して治績も挙げたが、混乱の中で新たに盟主となった司馬睿による命令を拒否したために対立し、王敦らの攻撃を受けて敗死した。
本文
  華軼字彦夏,平原人,魏太尉[音欠:016139]之曾孫也。祖表,太中大夫。父澹,河南尹。軼少有才氣,聞於當世,汎愛博納,衆論美之。初為博士,累遷散騎常侍。東海王越牧[亠兌:001375]州,引為留府長史。永嘉中,歴振威將軍、江州刺史。雖逢喪亂,毎崇典禮,置儒林祭酒以弘道訓,乃下教曰:「今大義頽替,禮典無宗,朝廷滯議,莫能攸正,常以慨然,宜特立此官,以弘其事。軍諮祭酒杜夷,棲情玄遠,確然絶俗,才學精博,道行優備,其以為儒林祭酒。」俄被越檄使助討諸賊,軼遣前江夏太守陶侃為揚武將軍,率兵三千屯夏口,以為聲援。軼在州甚有威惠,州之豪士接以友道,得江表之歡心,流亡之士赴之如歸。
 華軼の字は彦夏で、平原の人。魏の太尉華[音欠:016139]の曽孫である。祖の華表は太中大夫であった。父の華澹は河南尹であった。華軼は若くして優れた才能があり、当時に〔名声が〕聞こえていて、博愛で人を広く受け入れていたため、世論は彼のことを褒めていた。初めは博士となり、昇進を重ねて散騎常侍となった。東海王司馬越は[亠兌:001375]州を治めると、〔華軼を〕招いて留府長史とした。永嘉年間には、振威将軍・江州刺史を歴任した。世は騒乱にあったけれども、〔華軼は〕常に儀式作法を崇め、儒林祭酒を置いて道の教えを広めようと考えを述べて言った。「今、大義は廃れ、儀式次第のよるべきものがなく、朝廷では議論が滞るし、これを正すこともできないので、常に悲しみ嘆いています。〔そこで〕どうか特別にこの官職を置いてその事を広めさせるべきです。軍諮祭酒の杜夷は心持ちが奥深く、きっぱりと俗世間から離れており、才学は詳しくかつ広く、素行も好ましいものですので、儒林祭酒に任命してやって下さい。」しばらくして、ゥ賊の討伐を支援するようにとの司馬越の檄文を受け、華軼は前江夏太守陶侃を揚武将軍として派遣し、兵三千を率いて夏口に駐屯させ、援軍の声を挙げさせた。華軼は江州にあってとても恩恵と威光があり、州の豪族とは友人として交際していたので、江南の人々の歓心を買い、放浪中の士人は〔自分の故郷へ〕帰ってくるかのように彼のもとに集まってきた。
  時天子孤危,四方瓦解,軼有匡天下之志,毎遣貢獻入洛,不失臣節。謂使者曰:「若洛都道斷,可輸之琅邪王,以明吾之為司馬氏也。」軼自以受洛京所遣,而為壽春所督,時洛京尚存,不能祗承元帝教命,郡縣多諫之,軼不納,曰:「吾欲見詔書耳。」時帝遣揚烈將軍周訪率衆屯彭澤以備軼,訪過姑孰,著作郎干寶見而問之,訪曰:「大府受分,令屯彭澤,彭澤,江州西門也。華彦夏有憂天下之誠,而不欲碌碌受人控御,頃來紛紜,粗有嫌隙。今又無故以兵守其門,將成其釁。吾當屯尋陽故縣,既在江西,可以扞禦北方,又無嫌於相逼也。」尋洛都不守,司空荀藩移檄,而以帝為盟主。既而帝承制改易長吏,軼又不從命,於是遣左將軍王敦都督甘卓、周訪、宋典、趙誘等討之。軼遣別駕陳雄屯彭澤以距敦,自為舟軍以為外援。武昌太守馮逸次于湓口,訪撃逸,破之。前江州刺史衛展不為軼所禮,心常怏怏。至是,與豫章太守周廣為内應,潛軍襲軼,軼衆潰,奔于安城,追斬之,及其五子,傳首建[業β:039684]
 当時、天子は孤立して危機にあり、四方は瓦解していた。華軼は天下を正そうという意志を持ち、貢物を送らせて洛陽に入る時は、常に臣下としての節度を失わせなかった。〔そして〕使者に向かって言った。「もし洛陽への道が途絶えていたならば、それを琅邪王のもとへ届けて、私が司馬氏のために行動していることを明らかにするのだ。」華軼は自分が洛陽の使者〔からの任命〕を受けていることから、寿春に監督されることになっても(51)、当時は洛陽がまだ機能していたこともあり、元帝の命令を謹んで受け入れることが出来ないでいた。郡県の人々は多くがこのことを諌めたが、華軼は納得せずに言った。「私はただ〔正式な命令書である〕詔書を見たいと思っているだけだ。」その際、元帝は揚烈将軍周訪に兵を率いさせて彭沢に駐屯して華軼に備えさせることにした。周訪が姑孰を過ぎると著作郎の干宝が会って、どうするのかと尋ねると、周訪が言った。「丞相府は一部の統治権を得ておられるので、彭沢に駐屯するように命令された。彭沢は江州の西の門になる。華彦夏(華軼の字)は天下を憂う真の心があるが、おいそれと他人の指図を受けたくなかったために、近頃ではゴタゴタして仲違いを起こしてしまった。今また理由なく兵士にその門を守らせれば、その溝を決定的にしてしまうだろう。〔しかし〕私が尋陽の故県に駐屯すれば、すでに江州の西にあるわけだし、北方〔の敵〕を防ぐことも出来れば、またお互いに刺激してしまうきらいも無くなるだろう。」ついで洛陽が陥落すると、司空の荀藩が檄を飛ばし、元帝を盟主とするようになった。元帝が政権を代行して上級官僚を入れ替えようとすると、華軼はまた命令に従わなかった。そこで左将軍の王敦に甘卓・周訪・宋典・趙誘らを統率させて華軼を攻撃した。華軼は別駕の陳雄を派遣して彭沢に駐屯させて王敦を防がせ、自分は水軍を編成して外から援護することにした。武昌太守の馮エが湓口に駐屯すると、周訪は馮エを攻撃して破った。前江州刺史の衛展は華軼に礼遇されなかったので、心の中でいつも〔彼に対して〕含むものがあった。そこでこの事態に至ると、予章太守の周広と一緒に〔元帝側に〕内応して、ひそかに華軼を急襲したところ、華軼の軍勢は潰れて安城に逃げ込んだが、〔馮エは〕追撃して彼を斬り、その五人の子をも殺害すると、首を建[業β:039684]に送った。
  初,廣陵高[小里:010678]寓居江州,軼辟為西曹掾,尋而軼敗,[小里:010678]藏匿軼二子及妻,崎嶇經年。既而遇赦,[小里:010678]攜之出首,帝嘉而宥之。
 それより以前、広陵の高[小里:010678]は江州に仮住まいしていたところ、華軼が招聘して西曹掾とした。ついで華軼が敗れると、高[小里:010678]は華軼の二人の子と妻を匿い、何年か苦しい月日を過ごした。ようやく大赦にあうと、高[小里:010678]は彼らを伴って出頭したので、元帝は褒め称えて彼らを許すことにした。

更新履歴
2005.10.01:第一版。
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