(1)「明帝紀」によると、太寧元年(323)六月。
(2)「成帝紀」では「咸和九年」としているので、本伝の「咸和七年」は誤りと考えられる。
(3)『晋書斠注』に引く『陶侃別伝』に「陶範は字を道則といい、陶侃の十男である」とある。また『晋書斠注』には何法盛は陶範を九男とするともある。