(1) この部分、原文に当たれず。
(2)『春秋左氏伝』昭公十五年の条参照。
(3)『史記』巻一「五帝本紀」参照。数々の悪徳をもって有名だった渾沌・窮奇・檮杌・饕餮の四人を指す。舜によって四方に追放され魑魅を防ぐ役目を負わされた。
(4)『春秋左氏伝』宣公十年の条参照。
(5)この部分、史料に見当たらず。
(6)王含は琅邪王氏出身、王敦の兄。
(7)『史記』巻五十四「曹相国世家」参照。
(8)干宝『捜神記』巻十一に親孝行者だったのに姑を殺したという無実の罪で処刑された周青という孝婦の話が出てくる。干宝は『漢書』巻七十一「于定国伝」にも出てくる東海郡の孝婦の話をもとにしていると思われるが、『漢書』にはこの孝婦の名前は出てこない。あるいは当時世間ではすでに『漢書』の孝婦の名前が周青として伝わっていたものか。
(9)『春秋左氏伝』襄公二十三年の条、劉向『列女伝』巻四「斉杞梁妻」参照。
(10)『春秋左氏伝』昭公七年の条参照。内乱で殺された鄭の大夫・伯有が後に幽霊として武装した姿で現れたため鄭の国内は騒然となった。ただし絵に現れてはいない。
(11)『春秋左氏伝』荘公九年の条参照。彭生は斉の公子。夫人との密通が露見することを恐れた斉の襄公の命によって魯の桓公を暗殺したが、口封じのために襄公に殺された(桓公十八年の条)。のちに豚に生まれ変わり狩場で襄公を驚かせたといわれる。
(12)この部分、原文未発見。
(13)桓温による簒奪未遂を揶揄するか。
(14)『史記』巻四「周本紀」参照。
(15)『史記』巻三十三「魯周公世家」参照。周公は兄・武王の病気の快癒を祈った祈祷文を封じ、その際臣下に他言を禁じた。
(16)『漢書』四十八「賈誼伝」参照。賈誼は前漢文帝に上奏し、強大な諸侯王を放置していると、事が起きたときに積んだ薪が燃え上がるように漢の天下は崩壊してしまうと述べた。
(17)『詩経』「曹風」鳲鳩参照。泉を下る者が草茫々の様子を見て周の都を思い出し慨嘆した話から。
(18)『漢書』巻八「宣帝紀」参照。
(19)『史記』巻三十八「宋微子世家」参照。熒惑星が星座の宋国の分野を犯し禍をもたらす恐れが出てきたため天文官が「禍を臣下か民に移すべきです。」と進言したところ、景公は「人に君たる者が人に禍を移してはならない。」と断り、その結果天はその言葉を嘉して禍を回避させた故事から。
(20)『史記』巻三「殷本紀」参照。殷の高宗(武丁)が儀式中雉が祭器に舞い降りそれを凶兆として怖れていたところ、臣下が「政を正しく修めれば心配いりません。」と進言し、その通りにしてかえって殷の隆盛をもたらした故事から。
(21)『史記』巻二「夏本紀」参照。禹王は黄河を治めるまでは家に帰らなかった。誓いをしたかは不明。
(22)『詩経』「曹風」候人参照。元来恋愛歌であるが、『詩経』序によれば重臣を遠ざけ小臣を近づけて国政を乱した曹の恭公を風刺したものとされる。
(23)『春秋左氏伝』襄公十四年の条参照。家臣の反乱により国外に逃亡しようとした衛の献公に対し、父の正夫人の定姜が失敗の原因を述べた。