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update:2021.05.08 担当:菅原 大介
晋書巻八十九
列伝第五十九
忠義

古人は言った。「君子は身を殺して仁を成し、生を求めて仁を害さず(1)。」またこうも言った。「死することが難しいのではなく、死に臨むことが難しい(2)。」この言葉は真実である。そもそも死節や迎合の可否を知っているなら、正義の士はまさか死を嫌がることはあるまい。もし一命をなげうって正義を得ることができるならば、不屈の士は自分の命を惜しまない。そのため鉄石のごとき堅く変わらない内心を堅持することができ、松竹のごとき正しい節操を励まし、老年に貞操の志が現れ、厳しい風の中で強くて屈することない節度が示され、刑に処されるのに向かうのに帰るがごとくであり、滅亡に向かうことも顧みず、書を竹帛に著させ、画を赤と青の塗料で象られ、前史では立派な行いの話となし、後代では偉業を成した人物として尊敬されるのである。

晋は元康年間の後、治政は乱れて朝堂は混迷し、禍難がたびたび発生し、困難や恐怖は甚だ強く、結局悪人に指示を逆らわれ、戎や狄は交ざって侵略し、全土は混乱し、民衆は泥水と炭火のごときひどい苦痛を味わい、武器は毎日用いられ、武力による争いは一斉に起こった。背恩忘義の徒は記録しつくすことが不可能だが、節操を守って生命を重視しない士は当時は乏しくはなかった。嵇紹は皇帝の乗る輿の危難を〔命を捨てて〕衛護し(3),卞壼は身体に白刃や弓矢を受けて亡くなり(4),桓雄は田叔のように義心が立派で(5),周崎は節義が解揚を上回り(6),羅企生と丁穆は元の主君のために命をかけて全力を尽くし(7),辛勉と吉挹は異民族の臣下になることを恥辱に思い(8),張禕は鴆毒を飲んで節義を完遂し(9),王諒はかいなを断って忠節を励ます(10),とまでいくと、意志が秋におりる霜のように壮烈で、精神が輝く太陽を貫通しないないことはなく、万古より爽やかな風に勢いよくぶつかることができ、当時の良くない風紀を威圧する者ではないか。世に言う混乱した時代は忠義の臣下を見分けるとは、これを言うのである。卞壼、劉超、鍾雅、周虓らは既に列伝に入っているが、そのほかの人物については事績を叙述して「忠義伝」とし、これによって晋朝に優れた人物が存在したのを示す。

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