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update:2010.02.01 担当:菅原 大介
晋書巻八十九
列伝第五十九
賈渾
人物簡介

賈渾(?〜304)は何郡の人かは不明である。太安年間に介休県令になった。永興元年(304)、劉淵の将軍の喬晞に攻め破られ、降伏せずに殺された。妻の宗氏は喬晞を罵って殺された。賈渾の殺害を聞いた劉淵は激怒し、喬晞を連れ戻して四等級の降格処分とし、賈渾の遺体を引き取って葬った。

本文

賈渾,不知何郡人也。太安中,爲介休令。及劉元海作亂,遣其將喬晞攻陷之。渾抗節不降,曰:「吾爲晉守,不能全之,豈苟求生以事賊虜,何面目以視息世間哉!」晞怒,執將殺之,晞將尹崧曰:「將軍舍之,以勸事君。」晞不聽,遂害之。

賈渾は何郡の人かは不明である。太安年間に介休県令(1)になった。劉元海(劉淵)が反乱を起こすと、将軍の喬晞(2)を派遣して介休県を攻め落とした。賈渾は節操を守って降伏せず、〔喬晞に〕言った。「私は晋の県令でありながら、県を守りきれることができなかったのだ。その場しのぎで命乞いをして賊どもに仕えるようなことをしたりすれば、いかなる面目があってこの世で生き続けることができようか!」喬晞は怒り、賈渾を捕らえて殺そうとすると、喬晞の部将の尹崧が言った。「将軍はこの人物を許し、主君(劉淵)に仕えるよう勧めるべきです。」喬晞は〔尹崧の進言を〕受け入れず、賈渾を殺したのだった(3)

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