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賈渾は何郡の人かは不明である。太安年間に介休県令(1)になった。劉元海(劉淵)が反乱を起こすと、将軍の喬晞(2)を派遣して介休県を攻め落とした。賈渾は節操を守って降伏せず、〔喬晞に〕言った。「私は晋の県令でありながら、県を守りきれることができなかったのだ。その場しのぎで命乞いをして賊どもに仕えるようなことをしたりすれば、いかなる面目があってこの世で生き続けることができようか!」喬晞は怒り、賈渾を捕らえて殺そうとすると、喬晞の部将の尹崧が言った。「将軍はこの人物を許し、主君(劉淵)に仕えるよう勧めるべきです。」喬晞は〔尹崧の進言を〕受け入れず、賈渾を殺したのだった(3)。