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update:2021.05.22 担当:菅原 大介
晋書巻八十九
列伝第五十九
楽道融
人物簡介

楽道融(?〜322)は丹楊郡の人である。若い頃に大志を抱き、好学で怠らず、友人と信じ合い、いつも己を制してあまねく配ることに力を尽くし、一国で最も優れた人物としての風格があった。王敦の参軍となった。永昌元年(322)、王敦が挙兵すると、甘卓のもとに遣わされ、甘卓を説得して王敦に反旗を翻させようとしたが、成功せずに憂死した。

本文

楽道融は丹楊郡の人である。若い頃に大志を抱き、好学で怠らず、友人と信じ合い、いつも己を制してあまねく配ることに力を尽くし、一国で最も優れた人物としての風格があった。王敦の参軍に就いた。

王敦は謀反を計画し、朝廷の高官を謀殺しようとして、甘卓に告白した。甘卓はよろしくないと考え、ぐずぐずと残って赴かなかった。王敦は楽道融を遣わして甘卓を招いた。楽道融は王敦の補佐ではあったが、その反逆心に憤っていたので、甘卓を説得しようとして言った。「天子は自ら様々な政務や政治を統べ、劉隗に専任させているわけではありません。いま〔前漢の呉楚〕七国の乱のことを考えると、ことさらに湘州を割譲して諸侯〔の領地〕を削減するのは、王氏の専権を長期に及ばせ、結局は政治を分断され、すぐに簒奪されるためだけのことになります。王敦は背恩で暴虐であり、挙兵して天子を攻撃し、国家が貴君を頼りにすることはきわめて深く、いまもし王敦と共同するのでしたら、どうして恩義に背かないということになりましょうか。生き残っては主君に背く家来となり、死すれば愚かな幽鬼となり、永久に一族の恥となりますよ!貴君は指示に応じるよう欺いて承諾しなければなりません。そして〔王敦のいる〕武昌を奇襲すれば、王敦の部隊はこれを聞き、必ず交戦せずに自壊し、多大なる功績を成就できます。」甘卓は全く正しいだとして、巴東監軍の柳純などと一緒に王敦の過ちや謀反を記した檄文を明らかにし、統括している兵を率いて討伐の意志を表明し、上表を携えて尚書台に派遣した。甘卓の性格は果断ではなく、しかも年を重ねて疑い深かったので、結局は諸方が一緒に進むのを待機し、出兵は滞った。猪口に到達すると、王敦は甘卓が既に派兵したことを耳及んだが、甘卓の兄の子の甘卬はその時王敦の参軍に就いていたので,甘卬を使いとして甘卓に和平を求め、軍勢を転回させるようにした。甘卓は甘卬を信じ、軍勢を転回させるようとすると、主簿の鄧騫と楽道融は甘卓を説得して言った。「将軍が正義の兵を立ち上げて中途でやめると、敗れた軍勢の将軍となり、将軍の地位も盗まれて取るところがありません。現在、将軍の配下の兵士は各々勝利を求めていますが、ひとたび帰還してしまうと、おそらく勝つことはできません。」甘卓は聞き入れなかった。楽道融は昼も夜も涙を流して泣いて諫言し、憂いと憤りから死んだ(1)

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