(1)『史記』巻六十七「仲尼弟子列伝」によると、顔回には徳行、游夏には文学、子貢には弁論、といった長所があった。いずれも孔子の高弟子である。
(2)『三国志』蜀書第十一「霍峻伝」注に引く『襄陽記』に、泰始四年(268)三月の武帝の下問に対する羅憲の上奏として似たような文章があり、諸葛京(諸葛亮の孫)や費恭(費禕の子)などの姓名がみえる。
(3)当時の法制では、職権を超える言動をとる者は処罰された。文立の節度ある態度を武帝はよしとしたのである。