(このページの先頭)
update:2021.04.24 担当:劉 建
晋書巻九十五
列伝第六十五
韓友
人物簡介

韓友(?〜312?)は字を景先といい、廬江郡舒県の人である。占いを得意とし、呪術によって病を治し、災いが起こる前に予言した。元康六年(296)に賢良に推挙された。後に広武将軍に任命され、永嘉年間の末期に卒した。

本文

韓友は字を景先といい、廬江郡舒県の人である(1)。韓友は書生をしていた時、会稽郡の人の伍振から易経を学び、占いを得意とした。占いによって家の陰陽を選んで設計し、また、京房や費長房の呪術を行うことができた。

〔廬江郡の〕龍舒県長である鄧林(2)の妻は長年、病を患い、今にも死なんとしていたが、医者や祈祷師は手の施しようがなかった。韓友は鄧林の妻を占うと、鄧林に一対の猪の絵を描かせて、鄧林の妻が寝ている場所の屏風に貼らせた。一晩経った後、鄧林の妻の体の調子が良くなり、病気は全快した。舒県の廷掾の王睦は病死したが、すでに〔魂を招き〕、魄を呼び返す儀式をし終えていた。韓友は王睦を占うと、絵を描くための紅い色の板に、太陽と月を描かせて、枕元に安置させ、また、豹の毛皮と馬の鞍のあおりを絵の上に平らに敷かせると、王睦はすぐに息を吹き返して全快した(3)。劉世則の娘は長年、悪霊に取り憑かれて病に罹っていた。祈祷師は劉世則の娘を祈祷すると(4)、古い城の中を掘って、空っぽの墓を開けてみると、何十匹もの狸や鰐がいたので捕えたが、劉世則の娘の病は相変わらず癒されなかった。韓友は劉世則の娘を占うと、布袋を拵えさせて、劉世則の娘が発作を起すと、布袋を広げて、窓に凭せ掛け、韓友は扉を閉めて気合を入れると、まるで何かを追い出す様であった。しばらくすると、布袋は風を吹き入れた様に大きく膨張し、そこで破裂してしまったが(5)、劉世則の娘の病は依然として酷かった。韓友はさらに布袋を二枚作り、布袋を重ねて開くと、前回と同じ様に窓に凭せ掛けた。布袋が再び膨張するのを待って、布袋の口を素早く縛ると、二十日間余り樹の上に掛けておいた。布袋はだんだん萎んでしまったので、布袋を開いて中を見ると、二斤もの狐の毛(6)が入っていた。それで劉世則の娘の病気は全快した。

宣城郡の人である辺洪は四月中に韓友の所に着くと、そこで〔自分の〕家の中が無事かどうか占ってもらうと、韓友は言った。「あなたの家に戦災があり、大変な災禍でしょう。七十束の薪を伐採し、庚(西方)の地に積み上げて、七月の丁酉の日に火をつけて燃やしてしまえば、災難は取り除かれるでしょう。さもなければ、災難は言葉で言い尽くせない程でしょう。」すると辺洪は柴や草〔の焚き物〕を集めた。〔韓友が言った七月の丁酉の〕日になると、風が強かったので、辺洪は火を付けようとはしなかった。辺洪はその後、広陽郡の領校の任に就き、母の死に遭い実家に帰ると、韓友は辺洪の実家に来て泊まった。その頃、太陽は既に山の麓に沈んでおり、韓友は出て来て、従者に急いで旅支度の準備をするように告げると、自分も間もなく夜の中にここを出発する、と言った。従者は言った。「今はもう日が沈んで暗いので、草を踏み分けて歩いても数十(7)里ですが、また、どうして急いでここを離れるのですか?」韓友は言った。「これはあなたが知らぬことです。ここには血に塗れた者が多くいます。どうしてこんな所にまだ居られましょうか!」頻りに引き留めたが、韓友は食事を取る間もなく出発した。その晩、辺洪は突然発狂し、二人の子供を絞め殺すと、その上妻を殺し、また、斧を用いて父親の二人の妾を叩き切ったが、二人の妾はどちらも傷を負い、辺洪はそのまま外へ逃げ出して行った。次の日、親族の者が死者を納棺しに行くと、辺洪を探した。数日後、家の前の林の中で辺洪を見付けたが、すでに自ら首を吊って死んでいた。

宣城太守の殷祐は病に罹り、韓友は殷祐を占うと、言った。「七月の最後の日に大きな叭叭鳥が官庁に集まって来るが、努めて捕まえられる機会を待ち、もしも捕獲できるならば吉であり、捕獲できなければ、すぐに災いとなるでしょう。」殷祐は慎重に準備を行った。〔韓友が言った七月の最後の〕日になると、果たして九尺の長さの尾を垂らした叭叭鳥が飛んで来て官庁に集まり、殷祐は突然、取り掛かると、捕獲した。それで、石頭督護に昇進し、その後、呉郡太守となった。

韓友は占いによる霊験は非常に多くて、厄払いをして災いを転じさせ、予言が的中しないことはなかった。干宝は韓友にどのような原因によるのか尋ねると、韓友は言った。「五行の相克を用いて占うのは、処法によって投薬し、病気を治すのと同じように、寒さと熱さを互いに用いて治療して救う。完治できるかどうかは、はっきりすることはできない。」韓友は元康六年(296)に賢良に推挙され、元帝は長江を渡った後、韓友を広武将軍に任命し、韓友は永嘉年間の末期に卒した(8)

更新履歴
この頁の最初へ