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update:2010.07.18 担当:劉 建
晋書巻九十五
列伝第六十五
歩熊
人物簡介

歩熊(?〜304?)は字を叔羆といい、陽平郡発干県の人である。予知や透視能力に長じていた。評判を聞いた趙王司馬倫に招かれたが、趙王司馬倫の末路を予言して断り、趙王司馬倫に包囲されたが、弟子たちをおとりに使って逃げ延びた。後に成都王司馬穎に招聘されたが、司馬穎の敗走後、平昌公司馬模により誅殺された。

本文

歩熊字叔羆,陽平發干人也。少好卜筮數術,門徒甚盛。熊學舍側有一人燒死,吏持熊諸生,謂爲失火。熊曰:「已爲卿卜得其人矣。使從道南行,當有一人來問得火主未者,便縛之。」吏如熊言,果是耕人,自言草惡難耕,故燒之,忽風起延燒遠近,實不知草中有人。又鄰人兒遠行,或告已死,其父母號哭制服,熊爲之卜,剋日當還,如期果至。

歩熊は字を叔羆といい、陽平郡発干県の人である。若い頃から卜筮数術(1)に長じていて、弟子達ではなはだ盛況であった。歩熊の学舎の側で一人が焼死したが、役人は歩熊の弟子たちの手をつかんで、〔弟子たちが〕誤って火災を起こしたのだと言い張った。歩熊は言った。「すでにあなたのために捕まえるべき人を占ってあります。道に沿って南に行ったとしたら、失火を引き起こした者はまだ捕まりませんかと尋ねる者がいるので(2)、この者を捕縛してください。」役人は歩熊の言う通りにすると、はたしてその者は農民であった。農民が自ら言うことには、草が繁茂して、畑を耕すのに難儀していたので、草を焼こうとしたら、突然、風が吹き、あちこちに燃え広がってしまったが、実際に草の中に人が居るとは知らなかったとのことだった。また〔ある時〕隣人の家の子供が〔家から離れた〕遠い場所に行って、すでに死んでいると告げる者がいたので、その子供の父母は喪服を着て号泣した。歩熊は彼らのために占い、〔子供が〕帰って来る期日を定めたが、はたして期日どおりに帰って来たのだった(3)

趙王倫聞其名,召之。熊謂諸生曰:「倫死不久,不足應也。」倫怒,遣兵圍之數重。熊乃使諸生著其裘南走,倫兵悉赴捉之,熊密從北出,得脱。後爲成都王穎所辟,穎使熊射覆,物無所失。後穎奔關中,平昌公模鎮鄴,以熊穎黨,誅之。

趙王司馬倫は歩熊の噂を聞くと、歩熊を召し出した。歩熊は弟子たちに向って言った。「趙王倫の命は長くはないのだから、応ずる必要はない。」趙王倫は立腹し、兵を派遣して歩熊たちを幾重にも包囲した。歩熊はそこで弟子たちに自分たちの皮衣を着させて南に逃げさせると、趙王倫の兵はみな弟子たちを捕えるために追ったが、歩熊は密かに北から出て、逃げ出すことができた(4)。後に成都王司馬穎に招聘された。司馬穎は歩熊にふたをして覆ってある物の中身を当てる遊戯をさせたが、中身の物を言い外すことはなかった。後に司馬穎が関中に逃亡すると、平昌公司馬模は鄴に駐屯したが、歩熊を司馬穎の同類として誅殺した(5)

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