(このページの先頭)
update:2021.01.11 担当:劉 建
晋書巻九十五
列伝第六十五
杜不愆
人物簡介

杜不愆(生没年不詳)は廬江郡の人である。若い頃、母方の祖父である郭璞から易占いを学んだ。後に占いの活動から身を引き、桓嗣の建威参軍となった。

本文

杜不愆は廬江郡の人である。若い頃、母方の祖父である郭璞(1)から易占いを学んだ。杜不愆はしばしば予言が的中した。高平郡の郗超(2)は年が二十歳を過ぎた頃、重い病気に罹り、試しに杜不愆に占ってもらった。杜不愆が言った。「すなわち、卦に現れていることには、あなたの病苦は間もなく取り除かれるでしょう。しかし、ここから東北へ三十里の所に上宮という一族が雄の雉を飼っており、その雄雉を求めて、鳥籠を東側の軒下に置くとよいでしょう(3)。その九日後の丙午の日の正午には、必ずや雌雉が飛んで来て、雄の雉と交わるでしょうが、しかし、そのすぐ後には、つがいは離れ去ってしまうでしょう。もし、このようであるならば、二十日を過ぎないうちに病気は全快しているでしょう。またこれは吉兆であり、八十歳まで長生きし、官位が最高となるでしょう。しかし、もし雌雉が飛び去り、雄雉が留まるならば、病気は一年経って、ようやく治るでしょう。年が八十歳の半分〔の四十歳〕になり、名声も地位もまた失うでしょう。」郗超はその時、重篤で痩せ衰え、命が危ぶまれたが、笑って答えた。「もしも、八十歳の半分を生き長らえるならば、十分ではないか。一年経つと病気が治るとは、長い時間ではないではないか。」しかし、〔郗超は〕まだ〔杜不愆が言ったことを〕信じられなかった。ある人が杜不愆の言葉に従うよう勧めたので、〔郗超は〕雉を求めて、ついに探し出した。丙午の日になり、郗超は南側の軒下に横たわり、雉を観察していたが、日が既に暮れてしまうと、本当に雌雉が飛んで来て籠の中に入り、雄雉と交わって飛び去ったが、雄雉は〔籠の中に〕留まった。郗超はため息をついて言った。「管輅(4)や郭璞の奇跡といえども、この杜不愆の予言に勝るものだろうか。」郗超の病気は年を経ると治り、四十歳になって、中書郎で卒した(5)

杜不愆はその後、占いの活動から身を退き、再びこのような類の仕事に戻ることはなかった。後に桓嗣(6)の建威参軍となった。

更新履歴
この頁の最初へ