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update:2021.01.11 担当:劉 建
晋書巻九十五
列伝第六十五
鮑靚
人物簡介

鮑靚(生没年不詳)は字を太玄といい、東海郡(一説に上党郡または琅邪郡)の人である。『神仙伝』を著した葛洪の岳父。天文や河図洛書に詳しく、仙人陰君より道教の奥義を授けられたという伝説がある。官位は南海太守に至った。享年百余。

本文

鮑靚は字を太玄といい、東海郡の人である(1)。五歳の時、両親に次のように語った。「前世は曲陽(2)の李家の子供で、九歳の時に井戸に落ちて死んだのです。」鮑靚の両親は李氏を探し当てることができたが、問い尋ねてみるとすべて鮑靚の言うとおりであった。鮑靚は内学と外学(3)を両方学び、天文や河洛書(4)に精通していた。徐々に昇進して南陽中部都尉(5)になり、〔後に〕南海太守となった(6)。かつて郡内の視察のため航海した時、大風に遭遇し、〔船が遭難して一行は〕飢えに苦しんだが、〔鮑靚は〕白い石を取り出して煮て食べ、事なきを得たのだった。王機(7)が当時広州刺史であったが、便所に入ると、突然二人の黒い衣服を着た人物が現れ、王機と打ち合い、暫くしてこの二人を捕らえてみると、黒い鴨のような二つのものを捕まえたのだった。鮑靚は「その者どもは不吉ですぞ。」と申し上げた。王機はこの二羽を焼くと、すぐに空高く飛び去ってしまった。〔はたして〕王機はまもなく誅殺された(8)。鮑靚はかつて仙人の陰君(9)に逢い、道教の奥義を授かった。百余歳で卒した

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