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update:2021.04.25 担当:劉 建
晋書巻九十五
列伝第六十五
幸霊
人物簡介

幸霊(生没年不詳)は予章郡建昌県の人である。その性格から幼稚だと思われたが、難病や怪異に苦しむ者を無報酬で数多く救い、尊敬された。

本文

幸霊は予章郡建昌県の人である。性格は口数が少なく、庶民達と一緒に暮らしていたが、恥ずかしそうにして、怒った様子も見受けられなかったので(1)、巷では幸霊を幼稚だと噂し、幸霊の父母や兄弟もまた幼稚であると思った。試みに〔幸霊に〕稲の見張りをさせたが、牛は稲を食べてしまい、幸霊は様子を見ていたが牛を追い払わず、牛が去って行くのを待ち、行って食べ散らかされた跡を片付けた(2)。幸霊の父母は激怒したが、幸霊は言った。「万物の一切は天と地の間に生まれ、それぞれ食欲を満たそうとする(3)。牛も同様に食べるのだから、どうして追い払うことなどできようか?〔できないよ!〕」幸霊の父は益々怒って言った。「かりにお前の言葉どおりなら、どうして食べ散らかされた跡を片付けたのだ?」幸霊は言った。「この稲も又、本性に従って、命を全うしようとし、牛は自ら〔稲の命を〕犯したのですよ、幸霊が片付けないことなどできるでしょうか!」

当時、順陽郡の人の樊長賓は建昌県令であり、民衆に政府の船を建城山中で造船するよう告知して、官吏は各人に櫂を一対ずつ作らせた。幸霊は作ったが、未だ上納しなかったのは(4)、ある者が〔幸霊の〕櫂を盗んだためだった。しばらくすると、盗人が罪を悔やんで死のうとしていたので、幸霊はこの者に対して言った。「あなたがどうして私の櫂を盗まなかったことがあろうか(5)?」盗人は答えなかった。少しすると、様態が急に悪くなり(6)、幸霊は言った。「もしもあなたが私に本心を告げなければ、今、本当に死ぬよ。」盗人は慌てて、頷き〔自分の罪を〕認めた。幸霊はこの時、盗人に水を飲ませると、病気はすぐに治った。この盗人はこの事で幸霊を畏れ、敬意を表した。船が完成すると、〔山から船を〕下ろすため、官吏は一艘の船を二百人で曳かせたが、びくともしないので、すぐに援助の人を要請した。幸霊は言った。「まだ援助の人が来ていないのだが、この人数であれば十分過ぎるではないか。幸霊自ら船を引いてみよう。」幸霊は手に櫂を持って、僅か百人によって〔船を曳くと〕、船は流れるように〔山を下りて〕行った。多くの者がたいへん驚いて(7)、皆、〔幸霊を〕神仙と呼んだ。この事によって、〔幸霊という〕名が知られるようになった。

龔仲儒の娘は長年の持病があり(8)、息継ぎがやっとのことだったので、幸霊は龔仲儒の娘に水を飲ませ(9)、その後、寝床から身を起こさせると、すぐに病気が好くなった。また呂猗(10)の母親の皇氏は麻痺の病に罹って(11)、十年余りだったが、幸霊は皇氏を治療し、皇氏から数尺離れた所に座り、静かに瞑想し、しばらくすると、幸霊は振り返って呂猗に言った。「夫人を助け起こしてください。」呂猗は言った。「年寄りの身で長年にわたり、病気を患っているのに、どうやって急に起き上がれるものですか?無理です。」幸霊は言った。「では、助け起こしてごらんなさい。」そこで二人がかりで抱えて立たせた。少し待って、幸霊はまた助けを取り払わせると、〔皇氏は〕自分で歩くことができ、これによりなんと全快したのだった。そこで人々は急いで走って行って、水上や陸に一同に会し、これに従う者は雲が湧き出るよう〔に集まったの〕であった。皇氏は病を患って久しかったので、発作を恐れたが、そこで幸霊は器に水を注いで〔皇氏に〕飲むようにさせたが、水を取るといつも、新しい水が補充され、二十年余り水は清新のようであり、塵埃が加わることなどなかった。

高悝(12)の家に妖怪が出た時に、家の中にも外にも、大声で叫んで話すのだが、姿は見えず、ある時は器具が勝手に動き出し、次々と発火するので、かんなぎが厄除けを行ったところ、祓い清める事は出来なかった。ちょうど都合よく幸霊に会ったので、そこで幸霊〔の助け〕を要求した。幸霊は路上から家を眺めて、高悝に対して言った。「これはあなたの家ですか?」高悝は言った。「はい、そうです。」幸霊は言った。「よくわかりました。」高悝は堅固に厄除けを求めたので、幸霊はやむを得ず、門まで行くと、符と縄が非常に多いのを見てとった。幸霊は高悝に対して言った。「正義を以って妖怪を阻止すべきなのに、妖怪は妖怪を救ってしまうのだから、どうして妖怪を追い払うことができようか!」符と縄を全て焼き払わせたが、ただ、屋根の上にしばらくの間座って、そして去って行ったが、その日の夕方に妖怪は祓い清められた。

幸霊はこの様な多くの病を治し救ってきたが、にもかかわらず謝礼は受け取らなかった(13)。馬に乗って行くことはなく、長いこと妻を娶らず、性格は礼儀正しくて(14)、人に会えば先に拝礼し、話す際はいつも自ら名乗った。〔幸霊は〕おおよそ山林の草木が短命で傷ついて〔困っている者が〕いれば、必ず治療を施して治し、旅行の途中で貨物を倒してしまった者がいれば、必ず元通りに起こしてやった。〔幸霊は〕江州を移動している間に、その士大夫に対して言った。「天地の間に人と万物があり、一つのものであり、すべてはそれぞれの本性を失おうとはしないのに、どうして人を屈服させて奴隷とするのか!貴兄がもしも本性を養って、多くの幸福を享受しようとするならば、すべての奴隷を釈放すべきだ。」十余年という間に、〔幸霊の〕方術の恩恵により、救われた者は非常に多かった。その後、妻を娶って、馬車の御者を雇い、財貨を受け取って断らなくなり、そのため、〔幸霊の〕方術はだんだんと効き目がなくなり、治療の成功率は半減した。

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