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update:2021.05.23 担当:劉 建
晋書巻九十五
列伝第六十五
郭黁
人物簡介

郭黁(生没年不詳)は西平郡の人である。若い頃から易経に精通したので、郡主簿の官職に就いた。呂光は郭黁を重要な秘密に参加させて画策させ、散騎常侍・太常に任命した。生まれ付き偏狭で残忍であったので、読書人や庶民の親交や信頼も得られなかった。呂光が間もなく敗れるのを知ると、王祥とともに反乱し、王乞基を盟主として推挙した。後に姚興に仕えるが、晋国に亡命しようとして、追いかける部隊に殺された。

本文

郭黁は西平郡の人である。若い頃から易経に精通したので(1)、郡主簿の官職に就いた。張天錫の治世の末年に、いつも苻氏から西方を攻撃するよう命令があったが、太守の趙凝は郭黁に占いをさせると、郭黁は言った。「もしも郡の中で二月十五日の日に囚人を逃してしまうならば、東方の軍隊が到来して、西涼の国運は必ず終結するでしょう。」趙凝は管轄下の各県に注意するように戒めた(2)。十五日になると、鮮卑の折掘(3)は趙凝に馬を贈ったが、趙凝はこれらの馬が駿馬ではないのに対して腹を立てると、使いの者を皆、廐に拘禁したので、鮮卑は恐れを感じて、その夜の中に逃げ去った。趙凝はこの事を郭黁に知らせると、郭黁は言った。「これはそのとおりになった。国は間もなく滅亡して、再び振興することができないでしょう。」

苻堅の治世の末年に、当陽門が震動したが、刺史の梁熙は郭黁に尋ねると、言った。「これは何の兆候でしょうか?」郭黁は言った。「これは四夷の事でしょう。二つの外国の国王が天子様を朝見するために来るでしょうが、一人は間もなく国へ帰ってしまい、一人はこの城で亡くなるでしょう。」一年余り後に、鄯善王と前部王は苻堅を朝見すると、西方に帰ったが、鄯善王は姑臧で死んだ。

呂光が黄河の西を統治していた時に、西海太守の王禎は謀反を起こすと、郭黁は呂光に王禎を襲撃するように勧めた。呂光の左丞の呂宝は言った。「千里〔を進んで〕人を襲撃するは、古来より難しいとされているのが、まして王者の軍隊では天下に知られていることであり、運よく成功を求めて得ることなどできるわけがない!郭黁に従うべきではなく、人の重大な事を誤らせてしまう。」郭黁は言った。「もしも勝利しなければ、私、郭黁は自分で斧での誅殺に伏します。もしも勝利したならば、左丞は先見の明がないことになります。」呂光は郭黁の話に従うと、勝利した。呂光は郭黁を京房氏や管輅氏になぞらえ、常に郭黁を重要な秘密に参加させて、画策させた。

呂光は乞伏乾帰を攻撃する準備をすると、郭黁は正し諫めて、言った。「現在、金星は未だ現れてはいないので、戦をするべきではないし、行ったとしても、きっと戦争の功績はなく、最後は大敗するでしょう。」太史令の賈曜は必ず秦、隴の地を攻め落として占領することができると考えた。金城を征服すると、呂光は賈曜に郭黁を詰問させたが、郭黁は密に呂光に対して言った。「昨晩は流星が東方に墜落したので、敗戦するでしょうが、たとえこの城を手に入れたとしても、恐らく持ち堪えられないでしょう。正月の上旬には、黄河に張った氷が間もなく溶けようとするでしょうが、もしも早めに黄河を渡らなければ、恐らく大災難があるでしょう。」二日経つと、失敗した知らせが伝わったので、呂光は軍隊を引き連れて黄河を渡ったばかりであったが、氷は溶けていた。当時の人々は、郭黁の非常に不思議な効験に感心した。呂光は郭黁を散騎常侍・太常に任命した。

郭黁は以後、呂光が老いたので、呂光が間もなく敗れる、と知ると、呂光の僕射である王祥(4)と一緒に、兵を挙げて乱を起こした。人民は郭黁が蜂起した、と聞くと、皆は聖人が兵を挙げたので、事は成功しないことはないと考えたので、だから相次いで郭黁に付き従うが、ただ付いて行けないことのみ恐れた。郭黁は呂氏の代わりを王氏と考え、王乞基(5)を盟主として推挙した。後に呂隆は姚興に降伏すると、姚興は王尚を涼州刺史に任命したが、結局、郭黁の言うとりになった。郭黁と呂光が対立している時に、逃げ去って来た者は、呂統が病死したと言ったが、郭黁は言った。「未だ亡くなってはいませんが、呂光や呂統の命は終わりの時を迎えています。」後に呂統が亡くなってから三日後に、呂光は亡くなった。郭黁は嘗て言っていた。「涼州の謙光殿には、後に縄のように編んだ髪の鮮卑が住むことになるでしょう。」結局、禿髪傉檀と沮渠蒙遜は交替で姑臧を占拠した。郭黁は生まれ付き偏狭で残忍であったので、読書人や庶民の親交や信頼も得られなかった。戦争で負けた後、郭黁は乞伏乾帰を頼って行った。乞伏乾帰が敗れると、さらに姚興に身を寄せた。郭黁は姚氏を滅ぼすのは、晋国であるとして(6)、妻や息子と娘を引率して南方へ逃げたが、後から追いかける部隊に殺された。

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