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update:2021.05.30 担当:劉 建
晋書巻九十五
列伝第六十五
台産
人物簡介

台産(生没年不詳)は字を国儁といい、上洛郡の人である。漢代の侍中の台崇の子孫。若い頃、京氏易を専攻すると、取り分け雲気占い、天象占い、暦学を得意とした。劉曜の大司空の劉均の参軍となり、劉均に推挙されて博士祭酒・諫議大夫となり、太史令を兼務した。天変地異の災難、教化の過失を詳しく説明したが、話は全て予言したとおりになり、劉曜に重く用いられた。尚書、光禄大夫、太子少師を歴任し、特進となり、金章紫綬となり、関内侯に封ぜられた。

本文

台産は字を国儁といい、上洛郡の人であり、漢代の侍中の台崇の子孫である。若い頃、京氏易を専攻すると、予言書、緯書、天文学、洛書、風占い、占星学、六日七分学を得意としたが、取り分け雲気占い、天象占い、暦学を得意とした。台産は商洛県の南山に隠れ住んだが、経書の研究に長じると、学問を教えることに熱中したが、権力者とは付き合わなかった。

劉曜の治世には天災地変が取り分け重大であり、劉曜は高官各自に見識が広く、遠慮なく思っていることを言う知識人を推薦するように命令した。大司空の劉均は台産を推挙した(1)。劉曜は自ら東堂へ赴くと、宦官に方策についての問題を台産に出題させたが、台産は精一杯、〔天災地変が起きる〕原因を説明した。劉曜は見ると、台産を称賛し、台産に接見すると、台産と政務に就いて討議した。台産は涙を流しながら悲しみ嘆くと、天変地異の災難、教化の過失を詳しく説明したが、言葉はたいへん丁寧であった。劉曜は風貌を変えて、礼を以て台産を遇すると、〔台産を〕博士祭酒・諫議大夫に、太史令を兼ねて任命した。次の年になると、台産の話は全て、予言したとおりになったが、劉曜はますます台産を信頼し重んじたので、〔台産は〕太中大夫に任務が変わると、一年に三度、昇進した。〔台産は〕尚書、光禄大夫、太子少師の官位を歴任すると、官位は特進、金章紫綬となり、爵位は関内侯に封ぜられた。

史臣は言う。陳訓、戴洋等は皆、古代の書籍の広い範囲を研究すると、数術を深く研究したり、暦学の奥深く、細部まで探求したり、陰陽学の奥義を窮めたりしたので、たとえ前代の京房氏や管輅氏であっても、彼らを超えることなどできやしない!郭黁は晋が姚氏を滅ぼすことを知っていたので、姚氏と分かれると晋の支配下に入った。〔郭黁は〕後ろから追い掛ける部隊が追い付くと、中途で倒れて亡くなったが、これは極めて小さなことまで、はっきりと見て取ることができるのに、却って睫を見るのは難しいこと〔の例え〕であった。佛図澄や鳩摩羅什は辺境から出た種族であり、遠く中原地区に来遊した。鳩摩羅什は星に現れる種々の現象に、前兆を見て取ることができたし、仏図澄は又、鬼神を駆使することができたので、二人はどちらも、冥土の中の事に精通すると、教えを残し伝えることを創始したが、実際には方術として重要視されるべきであり、決して外部からの力や身分の高い者の力を借りなかった。姚氏や石氏はまるで神の様に、彼らを恭しく祭ったが、尤もな理由があるのだ。鮑靚、呉猛、王嘉、幸霊等の者は、ある神霊の力を借りて、非常に不思議な方術の指導を受けると、巫術を用いて災禍を取り除くことができたが、うわべに隠れている重要な意義を明らかに示すと、奇妙で荒唐であると嘲りを受けるといえども、却ってこの世では利益があった。しかし博学な学者は、軽率に模倣してはいけない。

賛に言う。『伝』は吉凶や天変地異が起こる兆しを記述し、『書』は占いについて述べる。まるで影が形に従い、谺が声に応ずるように予言が的中し、割り符の様に一致した。怪力乱神は世人を欺くと、世は乱れる。節度なく崇め尊ぶと、必ず弊害がある。

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