(1)『大平広記』巻八十一に引く『予章記』は「性」の上に「立」の字があり、「人」の上に「小」の字がなく「見侵辱」を「被人侵辱」と作る。
(2)『大平広記』巻八十一に引く『予章記』は「往理」を「整理」と作る。
(3)『大平広記』巻八十一に引く『予章記』は「各得其意」と作る。
(4)『大平広記』巻八十一に引く『予章記』は「箸」を「楫」と作り、「作」の下に「訖」の字がある。本伝下文の「船成」の句によって「箸」の字を「楫」の字と作るのが正しいと証明できる。洪北江『暁読書斎雑録』は「箸」を「篙」の字の誤りではないかとしている。
(5)『大平広記』巻八十一に引く『予章記』は「爾無竊吾楫子乎」と作る。
(6)『大平広記』巻八十一に引く『予章記』は「須臾痛甚」と作る。
(7)『大平広記』巻八十一に引く『予章記』に「人皆畏之」と作る。
(8)『大平広記』巻八十一に引く『予章記』は「襲仲儒」と作る。
(9)『大平広記』巻八十一に引く『予章記』は「含」を「潠」と作る。
(10)呂猗は晋の官吏。「戴若思伝」に「呂猗昔爲郎,有刀筆才,性尤姦諂,若思爲尚書,惡其爲人,猗亦深憾焉。」とある。
(11)『大平広記』巻八十一に引く『予章記』に「皇」は「黄」と作り、以下の文も同様である。
(12)西晋の官吏。広陵郡の人。詳細は「高崧伝」を参照のこと。
(13)『大平広記』巻八十一に引く『予章記』は「従爾巳後百姓奔赴如雲靈救愈者多不取報謝」と作る。
(14)『大平広記』巻八十一に引く『予章記』は「恭」を「柔」と作る。