(1)『高僧伝』巻十「仏図澄伝」は「狂者」を「狂病」と作る。
(2)『高僧伝』巻十「仏図澄伝」は「飴」を「飼」と作る。『晋書斠注』は「飴」を「飼」の誤りと考えている。
(3)『高僧伝』巻十「仏図澄伝」の中に「慕容儁は鄴を国都とし、石虎の宮廷に居住すると、毎日、虎が腕を齧る夢を見るので、石虎の祟りだと考えた。石虎の死体を探索させると、東明館にて掘り出せたが、硬くなっていて傷ついていなかった。〔死体を〕鞭打ちで傷つけて辱め、漳水に投げ捨てたが、死体は橋の支柱に引っ掛り動かなかった。前秦の将軍王猛が石虎の死体を収めて葬ったが、このことが麻襦の言う一柱殿である。」とある。
(4)『高僧伝』巻十「仏図澄伝」は「酉戎」を「西戎」と作り、『神僧伝』は「酉戎」を「酉戌」に作る。後趙のことと考えられるが、異民族全般の意味にもとれる。
(5)『高僧伝』巻十「仏図澄伝」は「歎」を「歡」と作る。
(6)『六十甲子納音』に「故歌曰:七金三火,九木一中央,皆五皆爲水。納音宜審詳。」とある。また、『護身禁法第二十』錦悪人鬼火法に「咒曰:吾是元皇之孫,太上之子,口含聖真神氣,付與東西百鬼,隨吾驅使,吾東向一唾九木折,南向一唾八火滅,西向一唾金剛缺,北向一唾流水絶。道氣流布,隨吾所説,急急如律令。」とある。
(7)『高僧伝』巻十「仏図澄伝」及び『神僧伝』はいずれも「莫能基必」の四字は重複していないので、この四字は恐らく誤謬と考えられる。
(8)『高僧伝』巻十「仏図澄伝」に「仏図澄と麻襦は一日中、話し合っていたが、話の内容を誰も理解できなかった。ひそかに聞いた者がわずか、二三の言葉を聞き得ただけだが、数百年の間の事について話し合っていたのでは、と推し計った。」とある。
(9)『高僧伝』巻十「仏図澄伝」に「私は行く所があるので、まだ出発できない。合口橋で待ち合わせしよう。」とある。
(10)志第一「天文上・中宮」に「王良五星,在奎北,居河中,天子奉車御官也。其四星曰天駟,旁一星曰王良,亦曰天馬。」とある。
(11)『読書脞録』に「『晋書』「芸術伝」は皆、慧皎の著した『高僧伝』を受け継いでいるが、『高僧伝』の詳細にして正確なところには及ばない。「麻襦伝」には『石季龍(石虎)の治世に、魏県の市場の通りで食物などを恵んでもらい、つねに麻地の短衣を纏い、元帝が江東で即位するに及んで、「天馬」に符合すると思ったという。』とあるが、『高僧伝』には『元帝が位を継承した』の語が無く、思うに『晋書』は稗史小説から採用したのだろう。考えるに、石勒は成帝の咸和五年に皇帝を僭称し、〔国名を〕趙と称したが、後を継いだ子が従弟の石虎に殺され、石虎が代わりにその位に就いた。麻襦は石虎の治世の人なので、元帝が即位してからだいぶ時間が経っている。年代から考えると、「天馬」に符合すると思うことははずはないから、とりわけ事実ではない。」とある。