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update:2021.01.28 担当:永一 直人
晋書巻九十六
列伝第六十六
王渾妻鍾氏
人物簡介

王渾の妻の鍾氏(生没年不詳)は字を琰といい、潁川郡の人である。魏の太傅の鍾繇の曾孫で、鍾徽のむすめで、王済の母。数歳にして文章をつづるのをよくし、成長すると、かしこくて度量が大きく上品で、古典を広く渉猟して記憶していた。顔かたちの美しさをとどめ、歌をうたうのを得意とした。物事の善悪を見抜き将来まで見通す見識があった。義妹である王湛の妻の郝氏と互いに出自を気にせず尊重し合ったので、「鍾夫人の礼、郝夫人の法」と称賛された。

本文

王渾の妻の鍾氏(1)は、字を琰といい、潁川郡の人で、魏の太傅の鍾繇の曾孫(2)である。父の鍾徽(3)は、黄門郎となった。鍾琰は数歳にして文章をつづるのをよくし、成長すると、かしこくて度量が大きく上品で、古典を広く渉猟して記憶していた。顔かたちの美しさをとどめ、歌をうたうのを得意とした。礼儀作法は手本にしっかり当てはまっていた。王渾にとつぐと、王済を生んだ。王渾がかつて鍾琰とともに座っていたとき、王済が庭先を走り過ぎたので、王渾は喜んで「生まれた子がこのようであれば、人の心は慰められるものだ。」といった。鍾琰は笑って「もしわたしが参軍どののところにとついでいれば、生まれた子はこんな程度ではなかったでしょう」といった。参軍とは、王渾の中の弟の王淪のことである。鍾琰のむすめもまた才知にすぐれてしとやかであり、賢い夫を求めていた。ときに兵家の子にたいそうすぐれた者がいて、王済はこの人にめあわせたいと思い、鍾琰に相談した。鍾琰は「わたしにその人を見せてください」といった。王済は兵と小者たちが雑居しているところに連れていった。鍾琰は帳の中からこれを観察し、まもなく王済に「緋色の衣の人がおまえの選んだ人ではないか?」といった。済は「はい」といった。鍾琰は「この人の才能は飛び抜けてすぐれているが、環境が悪いので齢を早く取ってしまい、その才能を開花させられないでしょう。婚姻を結んではいけません」といった。こうして止めた。その人は数年してはたして亡くなった。鍾琰が物事の善悪を見抜き将来まで見通す見識は、みなこのようなものであった。

王渾の弟の王湛の妻の郝氏(4)にもまた徳義にかなった行いがあり、鍾琰は貴族の出だったけれども、郝氏といつも互いに親しみ尊重しあっていた。郝氏は身分がいやしいからといって鍾琰にへりくだろうとせず、鍾琰も身分が高いからといって郝氏の上に出ようとしなかった。ときの人は鍾夫人の礼、郝夫人の法といってたたえた。

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