(このページの先頭)
update:2021.02.02 担当:永一 直人
晋書巻九十六
列伝第六十六
鄭袤妻曹氏
人物簡介

鄭袤の妻の曹氏(198〜280)は魯国薛県の人である。後妻として鄭袤と結婚した。みずから糸をつむいで働き、舅や姑への孝行や義理の姉妹たちへの礼節も尽くした。鄭袤が出世しても、俸給を親類らに分け与えたので、家には余分な財産がなかった。鄭袤が薨じると先妻と合葬し、人々から感心された。太康元年(280)に卒した。享年八十三。

本文

鄭袤の妻の曹氏は、魯国薛県の人である。鄭袤は先に孫氏をめとったが、早く亡くなって、曹氏を後妻として求めた。みずから糸をつむいで働いて舅や姑を養う費用にあて、かれらにたいへん孝行に仕えた。義理の姉妹たちの間でも、礼節をつくしたので、みな喜び満足していた。鄭袤が司空となり、その子の鄭默らがまた朝廷の官の一員として名をあらわしてくると、時の人はかれらの栄耀尊貴なふうをたたえた。曹氏は勢力がさかんなことを深くおそれ、鄭默らが昇進するごとに、心配するようすを声と顔色にあらわした。そういうわけで食事は贅沢をせず、服は洗濯したものを着た。鄭袤らが得た俸給は、曹氏が必ず親類や縁続きの人々に分け与えて、できるかぎりあまねくばらまかせたので、家には余分な財産がなかった。

かつて、孫氏は黎陽に埋葬されていた。鄭袤が薨じると、相談する人々は、孫氏は亡くなって長く経っているのでいっしょにするのは難しいだろうと、合葬させたがらなかった。曹氏は「孫氏は先妻でいらっしゃるのだから、道理からいっても陪葬されるべきです。どうしてひとり魂を寄る辺なきままにさせておけましょうか」といった。そこで吉凶導従の儀(1)をととのえて先妻の遺体を迎え、祭式のための衣服や夜着や机や敷物を用意し、親しく雁行の礼(2)を執り行ったので、聞いた者は嘆息しないではいられなかった。思うに趙姫が叔隗の下についた故事(3)と比べても、たたえるに足りないだろう。太康元年(280)に卒し、享年は八十三だった。

更新履歴
この頁の最初へ