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update:2021.02.11 担当:永一 直人
晋書巻九十六
列伝第六十六
陶侃母湛氏
人物簡介

陶侃の母の湛氏(生没年不詳)は豫章郡新淦県の人である。陶丹の妾となって、陶侃を産んだ。陶丹が亡くなると、家は貧しくなったが、いつも糸を紡いで金品を用だて、陶侃に交際を結ばせた。鄱陽の孝廉の范逵が家に宿泊した際、馬をさばいたり、自分の髪を売るなどして精一杯歓待し、范逵から感嘆された。陶侃が江夏太守・鷹揚将軍となると、陶侃の官舎に迎えられ、その後亡くなった。

本文

陶侃の母の湛氏(1)は、豫章郡新淦県の人である。かつて、陶侃の父の陶丹が申しこんで妾とし、陶侃が生まれたが、陶家は貧しくて身分も低く、湛氏はいつも糸を紡いで金品を用だて、自分を犠牲にして交際を結ばせた。陶侃は若くして尋陽県の役人となったが、かつて魚捕りのしかけを見張って、ひとつぼの鮓(すし)を母に贈ったことがあった。湛氏は鮓を封じて手紙を送り、陶侃を責めて「おまえが役人になって、官のものをわたしに贈っているようでは、わたしを益することができないばかりか、かえってわたしの心配を増やしているのですよ」といった。鄱陽の孝廉の范逵が陶侃のところに泊まったことがあったが、ときに大雪となったので、湛氏はそこで寝所のすみずみまで新たに敷きつめなおし、自ら馬をさばいてふるまい、またひそかに髪を切って隣人に売り、酒のさかなとごちそうでもてなした。范逵はこれを聞いて嘆息して、「この母がいなければこの子は生まれなかったろう!」といった。陶侃はついに功名が世にあらわれた。

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