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update:2021.02.11 担当:永一 直人
晋書巻九十六
列伝第六十六
賈渾妻宗氏
人物簡介

賈渾の妻の宗氏(284頃〜304)は、どこの出身の人か知られていない。永興元年(304)、介休県令であった賈渾が劉淵の将軍の喬晞に攻め破られ、降伏せずに殺されると、妻になるよう求めた喬晞をののしって殺された。享年二十余。

本文

賈渾の妻の宗氏は、どこの出身の人か知られていない。賈渾が介休の県令となったとき、劉元海(劉淵)の将軍の喬晞に攻め破られ、任地で死んだ。宗氏は顔かたちがすぐれていたので、喬晞は彼女をめとろうとした。宗氏はののしって「匈奴のけだものめが!どうして人の夫を害しておいてその上無礼を加えようというのか、ああどうしてなのか?どうしてわたしをつかまえて殺さない!」といった。そこで天を仰いで大声で泣いた。喬晞はかくして彼女を殺してしまった。ときに年は二十あまりだった。

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