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update:2021.02.13 担当:永一 直人
晋書巻九十六
列伝第六十六
周顗母李氏
人物簡介

周顗の母の李氏(生没年不詳)は絡秀といい、汝南郡の人である。周浚の妾となって、周顗と周嵩と周謨を生んだ。子供たちに自分の実家と親しくするよう命じたので、李氏は貴族となることができた。

本文

周顗の母の李氏は、字を絡秀といい、汝南郡の人である。年若く実家にいたとき、周顗の父の周浚は安東将軍となっていた。周浚がかつて猟に出たとき、雨に遭って、絡秀の家でやり過ごそうとした。たまたま彼女の父兄が不在だったが、絡秀は周浚がやってきたと聞いて、ひとりの端女とともに奧で猪や羊をさばき、数十人のごちそうをそろえた。たいそう手際が行き届いていたにもかかわらず、人の声が聞こえなかった。周浚が怪しんで奧をのぞかせると、たいへん美しいひとりの女の子が見えただけだった。周浚はそこで彼女に妾となるよう求めた。彼女の父兄は許さなかったが、絡秀が「家門が病みおとろえているというのに、どうしてひとりのむすめを惜しむのでしょうか!もし貴族と姻戚となれれば、将来大きな利益をねがうこともできるでしょう」といったので、父兄はこれを許した。こうして周顗と周嵩と周謨を生んだ。周顗らが成長すると、絡秀は「わたしが節を曲げておまえたちの家の妾となったのは、実家のためを計っただけです。おまえたちがわたしの実家と親しくしないのなら、わたしはまたどうして余命を惜しみましょう!」と彼らにいった。周顗らは母の命に従ったので、これにより李氏はとうとう貴族となることができた。

〔晋の〕中興のとき、周顗らはそろって高い地位に列した。かつて冬至に酒を置き、絡秀はさかずきをかかげて三人の息子に与えて「わたしは長江を渡った当初より、落ちつく場所もないものと思ってきました。意外にもおまえたちがそろって高い身分となり、わたしの目の前にならんでいるのをみると、わたしはもう何の心配がありましょうか!」といった。周嵩が立ち上がって「おそれながらおっしゃるとおりではありません。伯仁(周顗)の志は大きいですが才能はとぼしく、名は重きをなしていますが識見はくらく、人の悪いところに乗じるきらいがあります。これは自らを全うする道ではありません。わたくし周嵩は性格が愚直で人と衝突するきらいがあり、また世に容れられないでしょう。ただ阿奴だけが平凡でものの役に立たないので、母上のそばにいることができるでしょう」といった。阿奴は、周謨の幼名である。のちにやはり周嵩の言ったとおりになった。

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