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update:2021.02.27 担当:永一 直人
晋書巻九十六
列伝第六十六
王凝之妻謝氏
人物簡介

王凝之の妻の謝氏(生没年不詳)は字を道韞といい、陳国陽夏県の人である。安西将軍の謝奕のむすめで、謝玄のきょうだい。謝安の姪で、王羲之は舅。かしこくて見識があり、弁論の才能があった。孫恩の乱で夫が殺されると、出撃して数人を殺したが、捕らえられた。外孫の劉涛が殺されそうになるが、言葉で孫恩の態度を変えさせて劉涛を救った。著した詩賦誄頌はそろって世に伝えられた。

本文

王凝之の妻の謝氏(1)は、字を道韞といい、安西将軍の謝奕のむすめである。かしこくて見識があり、弁論の才能があった。叔父の謝安がかつて「『毛詩』はどの句が最も優れているだろうか?」と尋ねたことがあった。謝道韞は「(尹)吉甫は頌(賛美詩)をなし、清風のようにおだやかです。仲山甫は永懐(永遠の思い)で、その心を慰めます」とたたえた。謝安は雅をもつ人であってはじめて行きつく深遠な境地だといった。またかつて親族が集ったとき、急ににわか雪が降ってくると、謝安は「何に似ているだろうか?」といった。謝安の兄の子の謝朗は「塩を空中に散らすのになぞらえるべきでしょうか」といった。謝道韞は「柳絮が風によって舞い上がるのに及びますまい」といった。謝安はたいそう喜んだ。

かつて王凝之にとついで、実家に帰ったとき、楽しくなさそうにしていた。謝安は、「王(凝之)どのは、逸少(王羲之)の子で、悪くない人物だが、おまえは何が恨めしいのかね?」といった。答えて「一門の叔父には阿大(謝安)、中郎(謝万)がおられ、従兄弟たちにはまた封、胡、羯、末がおりますが、まさか天地の中に王君〔のようなだめな人〕がいるとは思いませんでした!」といった。封とは謝韶のことであり、胡とは謝朗のことであり、羯とは謝玄のことであり、末とは謝川のことである。みなその小字(幼名)である。またかつて謝玄の学問が進まないのをけなして、「雑事に心をとらわれているのですか、天分に限りがあるのですか?」といった。王凝之の弟の王献之が、かつて賓客と談議して、詩文の理論でやりこめられそうになった。謝道韞は端女をつかわして王献之に申し上げて「あなたのために囲みを解こうと思います」といった。そこで青いあやぎぬの幕をほどこして自分を覆い隠し、議論の展開に先立って王献之に申しのべると、客はやりこめることができなかった。

孫恩の乱に遭遇したが、立ち居振る舞いは落ちついていた。夫と諸子がすでに賊に害されたと聞くと、そのとき婢に命じて輿をかつがせ、刃を抜いて門を出て、乱兵がいくらかやってくると、手ずから数人を殺して、そこでようやく捕らえられた。彼女の外孫の劉涛がときに年数歳で、賊はまたこれをも害そうとしたが、謝道韞は「問題は王家にあり、どうして他族に関わりがありましょうか!どうしてもそのようなことをするというなら、私が先に殺されるがましです」といった。孫恩はひどく残虐であるが、彼女の言葉を聞いて態度を改めて、劉涛を殺さないことにした。この事件以後は会稽でやもめ暮らしをしていたが、家中は厳しくおごそかでないことがなかった。太守劉柳は彼女の名を聞いて、ともに談議したいと願い出た。謝道韞はもともと劉柳の名を知っていたので、険阻なところを苦にもせずやってきた。そしてもとどりにかんざしを刺しただけの飾り気ない姿で、とばりの中に座った。劉柳は贈り物を用意し身なりを整え、別の長椅子で〔威厳を〕つくろった。謝道韞は人柄がみやびやかで抜きんでてすぐれており、述べるおもむきは清らかで上品であった。話の先が家のことに及ぶと、興奮して嘆き、涙がつきなかった。問われたことに余裕をもって答え、言葉のすじみちが滞ることがなかった。劉柳は退いて「本当に近頃は見ることのないようなかただ。言気を仰ぎ見ると、人の心と形をともに従わせてしまう」と嘆いていった。謝道韞はまた「親族が亡くなってからというもの、はじめてこのような方にお会いして、その問われるところを拝聴すると、とりわけ人の胸中を開いた心持ちがします」といった。

かつて、同郡の張玄の妹もまた才能と性格がすぐれており、顧氏にとついだ。張玄はいつも謝道韞に匹敵する女性として彼女をたたえていた。王・顧の両家で遊んだ済尼という者がいて、ある人がこのことを尋ねると、済尼は「王夫人は心情が明るくほがらかで、生来林の下に風があるようなさっぱりしたおかたです。顧家の妻は心の清らかなこと玉に映った影のようで、学芸にすぐれた才媛でいらっしゃいます」と答えていった。謝道韞の著した詩賦誄頌(2)はそろって世に伝えられた。

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