靳康のむすめ(生没年不詳)は、どこの出身の人か知られていない。姿かたちが美しく、操が堅かった。太興元年(318)、一族が劉曜に誅殺されると、妾として後宮にいれられそうになったが、号泣して死を願った。
靳康のむすめは、どこの出身の人か知られていない。姿かたちが美しく、操が堅かった。劉曜が靳氏を誅殺すると、靳氏のむすめを妾として後宮にいれようとした。靳氏は「陛下はすでにわたしの父母兄弟を滅ぼしておしまいになり、またなんでわたしを用いようとなさるのですか!反逆者を誅殺すると、宮殿を汚した樹でさえ斬るとわたしは聞いています。ましてやその子女を斬らないことがありましょうか!」といった。号泣して死を願ったので、劉曜はこれを哀れんで、靳康の一子を赦免してやった。