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update:2021.04.14 担当:永一 直人
晋書巻九十六
列伝第六十六
段豊妻慕容氏
人物簡介

段豊の妻の慕容氏(生没年不詳)は、慕容徳のむすめである。才知があって、読書をよくし、鼓や琴の演奏にすぐれた。慕容徳が帝位を僭称すると、平原公主となった。十四歳で、段豊と結婚した。段豊が殺され、余熾に再嫁させられそうになると、貞節を守って自殺した。

本文

段豊の妻の慕容氏は、慕容徳のむすめである。才知があって、読書をよくし、鼓や琴の演奏にすぐれた。慕容徳が帝位を僭称すると、平原公主となった。年が十四で、段豊にめあわされた。段豊が人に中傷を受けて殺され、慕容氏はやもめとなって実家に帰ったところ、偽朝(南燕)の寿光公余熾に再嫁させられそうになった。慕容氏は端女に「忠臣はふたりの主君につかえず、貞女はふたりの夫をかえないとわたしは聞いています。段氏は既に無実の罪で亡くなり、わたしはいっしょに死ぬことができませんでした。どうして再びとつぐ気持ちが持てましょうか。いま主上は礼儀をかえりみずにわたしをとつがせようとしています。もし従わなければ、父母の命令に違えることになります」といった。そこで婚姻の期日を定めた。慕容氏は姿かたちがしなやかで美しく、衣服と飾りは麗しくかがやいていたので、余熾は彼女を見てたいへん喜んだ。二晩泊まりを過ぎて、慕容氏は病気であると嘘をついたので、余熾もまた彼女に迫ろうとはしなかった。三日して屋敷にかえり、沐浴して酒を置くと、談笑しながら落ちついたふうであった。夕方にいたって、ひそかに裳の帯に書きつけたことには「わたしが死んだ後は、段氏の墓のそばに埋めてください。もし魂魄があることを知るなら、段氏のもとに帰るべきなのです」ということであった。そのまま浴室で自ら首を吊って死んでしまった。葬られるとき、見物する男女は数万人におよび、「なんと公主はみさお正しいことか!」と嘆息しないものはなかった。葬列が余熾の家の前を過ぎて、余熾が挽歌の声を聞くと、むせび泣くこと長らくであった。

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