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update:2021.04.17 担当:永一 直人
晋書巻九十六
列伝第六十六
呂纂妻楊氏 呂紹妻張氏
人物簡介

呂纂(後涼霊帝)の妻の楊氏(?〜401)、弘農郡の人である。楊桓のむすめ。美しくつややかではげしい正義感を持っていた。呂纂と結婚し、隆安四年(400)、呂纂の后となった。隆安五年(401)、呂纂が呂超に殺されると、呂超から結婚を迫られたが、拒んで自殺した。

呂紹の妻の張氏(386〜399?)は、どこの出身の人か知られていない。品行があった。隆安三年(399)、呂紹が死ぬと、即座に尼になろうと願い出た。呂隆から迫られたので、楼閣から飛び降り、仏の経典を口ずさんで死んだ。

本文

呂纂(後涼霊帝)の妻の楊氏は、弘農郡の人である。美しくつややかではげしい正義感を持っていた。呂纂が呂超に殺されると、楊氏と召使いの女たち十数人は城西で呂纂の殯(かりもがり)をおこなうことにした。宮殿を出ようとすると、呂超が〔楊氏に〕珍奇な宝物を与えようと思って外出し、人にこれを捜させていた。楊氏は激しい声で呂超を責めて「あなたたち兄弟は仲良くすることができず、手ずから刃で殺し合いました。わたしはまもなく死ぬ人間ですから、どうして黄金の宝がいりましょうか!」といった。呂超は恥じて引き下がった。また楊氏に玉璽の所在を尋ねると、楊氏は怒って「粉々にしてしまったわ。」といった。呂超は彼女をめとろうとして、その父の楊桓に「后がもし自殺したら、禍はおまえの一族に及ぶぞ」といった。楊桓がこのことを楊氏に告げると、楊氏は「父上はもともと富貴をはかるためにむすめを売って氐に与えました。一度はすでに我慢しましたが、再び耐えることができましょうか!」といって、自殺した。

ときに呂紹の妻の張氏もまた品行があった。十四歳のとき、呂紹が死ぬと、即座に尼になろうと願い出た。呂隆が彼女を見てよろこび、彼女の操を汚そうとした。張氏は「悦楽をつつしむことこそまことの道です。誓って辱めは受けません」といった。かくして楼閣に昇って自ら地に身を投げると、二本のすねはともに折れ、仏の経典を口ずさむと、にわかに死んでしまった。

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