(1)東海の呂母は、新末の人。息子が県の小吏となったが、宰に冤罪を着せられて殺された。呂母は息子の復讐のために家財を散じ、少年百余人を集めて叛乱を起こした。海曲県城を攻め落とし、宰を殺して息子の墓に供えた。のちに海上に入って、その衆は一万人あまりとなった。彼女の余党は樊崇らに合流し、赤眉の軍となった。