(1)「知足不辱」は、「足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆からず」という『老子』の一節からの引用。
(2)「夫繁霜降節」とあるが、「降節」とは見慣れない表現。「節」の音は入声の屑韻で、「雪」と音通している。ここは「繁霜降雪(霜の繁く雪の降らす)」を意識した比喩表現と思われる。
(3)「荐之以劉石、汨之以苻姚」は、「劉石をもってこれを荐(し)き、苻姚をもってこれを汨(べき)す」。「劉」は前趙の劉氏、「石」は後趙の石氏、「苻」は前秦の苻氏、「姚」は後秦の姚氏。この一文は五胡諸国の風俗に染まった意をあらわす。同時にここでは「劉石」を敷き、「苻姚」を水に投じるという比喩表現にもなっている。「劉」はばらばらに切り離す、「石」は石、「苻」は鬼目草または植物のさや、「姚」は細身で美しいの意。「石をばらばらにして敷きつめ、たおやかな鬼目草を水に投げ入れる」の意味も取れる。一種の掛詞。
(4)『周礼』大司徒では、万民を教化する六徳、六行、六芸があるとする。六行は、孝(親孝行)、友(兄弟愛)、睦(同族愛)、婣(外戚愛)、任(力による扶助)、恤(財貨による扶助)の六種の行い。
(5)曹大家(班昭)『女誡』婦行第四に「女に四行有り。一に曰く婦徳、二に曰く婦言、三に曰く婦容、四に曰く婦功」とある。婦徳は控えめに行動し、世間の掟に従って恥を避けること。婦言は慎重に発言し、悪口を言わず、人から嫌われぬようにすること。婦容は清潔を心がけること。婦功は紡織・料理に専念し、享楽を避けること。
(6)『詩経』邶風静女に「静かなる女の其れ孌(れん)たり、我に彤管(とうかん)を貽(おく)る」とある。彤管は、赤い管。筆・笛などの説がある。ここでは赤い筆と解釈した。