(1)原文「吉凶導從之儀」。「司馬孚伝」に「吉凶導從二千餘人」とあるが、詳細不明。
(2)「雁行」は、雁の群れのように、少しずつ遅れて斜めに並んで進むこと。『礼記』王制では「道路:男子由右、婦人由左、車從中央。父之齒隨行、兄之齒鴈行、朋友不相踰」という。「雁行の礼」は、弟が兄に少し遅れて進む礼法と解される。ここの本文では、孫氏の遺体を改葬するにあたって、曹氏が孫氏の棺の斜め後ろについたと解釈すべきか?
(3)春秋時代の晋の重耳(のちの文公)が驪姫の事件より狄に亡命すると、臣下の趙衰はこれに従った。狄は叔隗を趙衰にめあわせた。叔隗は趙盾を生んだ。重耳が帰国して晋公として立つと、自分のむすめの趙姫を趙衰にとつがせた。趙姫は趙同(原同)・趙括(屏括)・趙嬰斉(楼嬰)の三人を生んだ。趙姫は狄にいる前妻の叔隗を迎えるよう固く請うた。叔隗と趙盾が晋に入国すると、趙姫は趙盾の才能を認め、趙盾を後嗣として立てるよう請い、自分の生んだ三子の地位を下げさせ、叔隗を嫡妻として、自分はその下についた。『左伝』僖公23、24年、『列女伝』賢明参照。