update:2001.04.20  担当:中村 威也
晋書巻百二十

 載記第二十

李特
人物簡介
 李特の簡介。
本文
  李特字玄休,巴西宕渠人,其先廩君之苗裔也。昔武落鍾離山崩,有石穴二所,其一赤如丹,一黒如漆。有人出於赤穴者,名曰務相,姓巴氏。有出于黒穴者,凡四姓:曰[日澤:014194]氏、樊氏、柏氏、〔一〕鄭氏。五姓倶出,皆爭爲神,於是相與以劍刺穴屋,能著者以爲廩君。四姓莫著,而務相之劍懸焉。又以土爲船,雕畫之而浮水中,曰:「若其船浮存者,以爲廩君。」務相船又獨浮。於是遂稱廩君,乘其土船,將其徒卒,當夷水而下,至於鹽陽。鹽陽水神女子止廩君曰:「此魚鹽所有,地又廣大,與君倶生,可止無行。」廩君曰:「我當爲君求廩地,不能止也。」鹽神夜從廩君宿,旦輒去爲飛蟲,諸神皆從其飛,蔽日晝昏。廩君欲殺之不可,別又不知天地東西。如此者十日,廩君乃以青縷遺鹽神曰:「嬰此,即宜之,與汝倶生。弗宜,將去汝。」鹽神受而嬰之。廩君立[石昜:024342]石之上,〔二〕望膺有青縷者,跪而射之,中鹽神。鹽神死,群神與倶飛者皆去,天乃開朗。廩君復乘土船,下及夷城,夷城石岸曲,泉水亦曲。廩君望如穴状,歎曰:「我新從穴中出,今又入此,奈何!」岸即爲崩,廣三丈餘,而階陛相乘,廩君登之。岸上有平石方一丈,長五尺,廩君休其上,投策計算,皆著石焉,因立城其旁而居之。其後種類遂繁。秦并天下,以爲黔中郡,薄賦斂之,口歳出錢四十。巴人呼賦爲[宗貝:036831],因謂之[宗貝:036831]人焉。及漢高祖爲漢王,募[宗貝:036831]人平定三秦,既而求還郷里。高祖以其功,復同豐沛,不供賦税,更名其地爲巴郡。土有鹽鐵丹漆之饒,俗性剽勇,又善歌舞。高祖愛其舞,詔樂府習之,今巴渝舞是也。漢末,張魯居漢中,以鬼道教百姓,[宗貝:036831]人敬信巫覡,多往奉之。値天下大亂,自巴西之宕渠遷于漢中楊車阪,抄掠行旅,百姓患之,號爲楊車巴。魏武帝克漢中,特祖將五百餘家歸之,〔三〕魏武帝拜爲將軍,遷於略陽,北土復號之爲巴[氏一:017027]〔四〕
 李特は字を玄休といい、巴西郡宕渠県の人で、その祖先は廩君の末裔である。その昔、武落の鐘離山が崩れて、石の穴が二つできた。一つは丹のように赤く、一つは漆のように黒かった。赤い穴から出てきた人は、名前を務相といい、姓は巴氏といった。黒い穴から出てきた人は、[日澤:014194]氏・樊氏・柏氏・鄭氏の四姓あった。五姓はそろって〔穴から〕出てくると、みな神になることを争った。そこで剣を穴の天井に突き刺して、突き刺さった者を廩君とすることにした。四姓は〔剣を天井に〕突き刺せなかったが、務相の剣は〔天井に〕引っかかった。さらに、土で船を造り、彫刻を施して水に浮かべ、「船が浮いた者を廩君とする」とした。この時も務相の船だけが浮かんだ。そこでついに〔務相は〕廩君と称し、自分の土の船に乗り、自身の士卒を率い、夷水に沿って川を下り、塩陽に着いた。塩陽の女の水神〔塩神〕は廩君を引きとどめて「ここは魚塩を産出し、地も広大です。あなたとともに生きます。ここに留まって行かないでください」と言った。廩君は「私はあなたのために作物ができる土地が欲しいのです。留まるわけにはいきません」と言った。塩神は夜、廩君に付き添って一晩を共にした。翌朝になると〔廩君のもとを〕去り、飛ぶ虫になった。諸神は皆その飛行に付き従ったので、日を覆い、昼でも暗くなった。廩君は塩神を殺そうと思ったが、〔塩神を〕見分けられなかった。しかも世界の東西〔方角〕が分からなくなった。こうした状況が十日続いた時、廩君は青い糸を塩神に贈って「これを身につけてくれ。もしそれでよければ、おまえとともに生きていこう。もしよくなければ、おまえの元から去ろう」と言った。塩神は〔青い糸を〕受け取り身につけた。廩君は陽石の上に立って、青い糸をつけたものを遠く遥かに見てとると、ひざまずいて矢を射た。〔その矢は〕塩神に命中した。塩神は死に、一緒に飛んでいた群神たちはみないなくなり、ようやく天空が開けて明るくなった。廩君は再び土の船に乗り、〔川を〕下って夷城に至った。夷城は、石岸が曲がっており、河流もまた曲がりくねっていた。廩君は〔川岸が〕穴のような様子なのを遠くから見てとると、嘆いて「自分は新しく穴から出てきたというのに、今、またここに入るとは、どうしたものだろうか」と言った。その途端、幅三丈余りにわたって岸が崩れ落ちた。しかも階段ができあがったので、廩君は階段を登っ〔て岸に上がっ〕た。川岸の上には、一丈四方でたけが五尺の平らな石があり、廩君はその上で休み、めとぎを投げ算で占ったところ、すべて石にくっついた。そこで石のそばに城郭を建て、そこに住んだ。その後、彼の種族は次第に増えていった。秦が天下を統一すると、この地域を黔中郡とし、一人あたり年間四十銭と、少なく賦税を課した。巴の人々は賦税のことを[宗貝:036831]と呼んでいたので、彼らを[宗貝:036831]人という。漢の高祖は漢王になると、[宗貝:036831]人を〔兵士として〕集めた。三秦を平定してから、〔彼らは〕まもなく故郷に返して欲しいと求めた。高祖は、彼らの功績により、豊・沛〔の兵士〕と同様に徭役を免除し、賦税を課さなかった。またその地域を巴郡と名付けた。〔その〕地には塩・鉄・丹・漆が豊富にあり、〔人々の〕気性は、素早く強く、また歌舞がうまい。高祖は彼らの舞を愛し、楽府に命じて習わせた。今の巴渝舞がそれである。 後漢の末、張魯は漢中にいて、鬼道(呪術)で民衆を導いていた。[宗貝:036831]人は祈祷師(シャーマン)を敬い信じていたので、〔漢中に〕行って〔張魯に〕仕える者が多くいた。〔[宗貝:036831]人たちは〕天下の大乱に直面すると、巴西郡の宕渠から漢中郡の楊車坂に遷り、往来の者から略奪したので、民衆はこれに苦しんだ。楊車巴と呼んだ。魏の武帝が漢中で勝利を収めると、李特の祖父は五百家余りを引き連れて武帝に帰順した。魏の武帝は〔祖父に〕将軍を拝し、洛陽に遷した。北方の人々は、今度は彼らを巴[氏一:017027]と呼んだ。
  特父慕爲東羌獵將。
 李特の父の李慕は東羌獵将となった。
  特少仕州郡,見異當時,身長八尺,雄武善騎射,沈毅有大度。元康中,[氏一:017027]齊萬年反,關西擾亂,頻歳大飢,百姓乃流移就穀,相與入漢川者數萬家。特隨流人將入于蜀,至劍閣,箕踞太息,顧眄險阻曰:「劉禪有如此之地而面縛於人,豈非庸才邪!」同移者閻式〔五〕、趙肅、李遠、任回等咸歎異之。
 李特は、若くして州や郡に仕え、時の人に〔有能さを〕不思議がられた。身の丈は八尺。勇猛果敢で、馬上からの弓射を得意とし、冷静沈着で度量が大きかった。元康年間、[氏一:017027]の斉万年が反乱を起こし、関西地域(函谷関より西の地域)が混乱し、連年大飢饉で、民衆は流民となって食べ物を求めた。民衆たちで漢川に入った者は数万家にのぼった。李特は流民の後に従い、蜀に入ろうとして剣閣にやって来た。〔そこで〕両足を前に伸ばして座りため息をつき、険阻なさまを見回して「劉禅はこのような〔険阻な〕地を有しながら、捕らわれの身になった〔降伏した〕とは、まったく凡才ではないか」と言った。同行していた閻式・趙粛・李遠・任回らはみな感嘆した。
  初,流人既至漢中,上書求寄食巴蜀,朝議不許,遣侍御史李[艸必:056154]持節慰勞,且監察之,不令入劍閣。[艸必:056154]至漢中,受流人貨賂,反爲表曰:「流人十萬餘口,非漢中一郡所能振贍,東下荊州,水湍迅險,又無舟船。蜀有倉儲,人復豐稔,宜令就食。」朝廷從之,由是散在益梁,不可禁止。
 これより先、流民たちがすでに漢中に着いた頃、〔彼らは〕上書して巴蜀地域で食を求めたいと願い出た。朝廷はこれを許さず、侍御史の李[艸必:056154]を派遣して節を持たせ、〔民衆を〕慰労させるとともに、彼らが剣閣に入らないよう監察させることにした。李[艸必:056154]は漢中に着くと、流民から賄賂を受けとり、逆に「流民は十万人余りいて、漢中郡一郡だけではとても救済しきれません。東に行って荊州に下るにも、水流は激しく早く、また船もありません。蜀には倉に備蓄があり、人々もまた豊かです。〔蜀で〕食を求めさせるのがよいでしょう」と上表した。朝廷はこの意見に従った。このことにより、〔流民が〕益州(巴蜀)・梁州(漢中)に散在し、それを禁止できなくなった。
  永康元年,詔徴益州刺史趙[广欽:009488]爲大長秋,以成都内史耿滕代[广欽:009488][广欽:009488]遂謀叛,潛有劉氏割據之志,乃傾倉廩,振施流人,以收衆心。特之黨類皆巴西人,與[广欽:009488]同郡,率多勇壯,[广欽:009488]厚遇之,以爲爪牙,故特等聚衆,專爲寇盜,蜀人患之。滕密上表,以爲流人剛剽而蜀人懦弱,客主不能相制,必爲亂階,宜使移還其本。若致之險地,將恐秦雍之禍萃於梁益,必貽聖朝西顧之憂。[广欽:009488]聞而惡之。時益州文武千餘人已往迎滕,滕率衆入州,[广欽:009488]遣衆逆滕,戰于西門,滕敗,死之。
 永康元年(三〇〇)、益州刺史の趙[广欽:009488]を詔書で〔中央に〕召して大長秋とし、成都内史の耿滕を後任とした。すると[广欽:009488]は反乱をたくらみ、劉氏が〔蜀に〕割拠したのと同様の考えをひそかに抱いていたので、倉を開放し、流民を救済して民心を得た。李特の仲間たちは皆、巴西出身で、[广欽:009488]と同郡であり、勇壮な者が多かった。趙[广欽:009488]は彼らを厚くもてなし、爪牙とした。そのため李特たちは仲間を集め、盗みや狼藉を働くばかりで、蜀の人々は困った。耿滕はひそかに「流民は剛強で、蜀の民は脆弱です。双方が互いを制することができず、必ずや混乱の火種となりましょう。〔流民を〕もとの居住地(洛陽や漢中)に送還させるのが賢明です。もし彼らを険阻な地(梁州・益州の地)に住まわせたら、秦州・雍州の禍いが梁州・益州に及び、王朝に西顧の憂いを生じさせるに違いない、と懸念しております。」と上表した。趙[广欽:009488]はこれを聞くと彼を憎んだ。この時すでに益州の文武の官僚千余人は、出向いて耿滕を迎えにいっていた。滕は手勢を引き連れて州城に入ろうとしたが、趙[广欽:009488]は手下を遣わして滕を迎え撃たせ、〔州城の〕西門で戦った。耿滕は敗北して、戦死した。
  [广欽:009488]自稱大都督、大將軍、益州牧。特弟庠與兄弟及妹夫李含、任回、上官惇、〔六〕扶風李攀、始平費佗、[氏一:017027]苻成、隗伯等以四千騎歸[广欽:009488][广欽:009488]以庠爲威寇將軍,使斷北道。庠素東羌良將,曉軍法,不用麾幟,舉矛爲行伍,斬部下不用命者三人,部陣肅然。[广欽:009488]惡其齊整,欲殺之而未言。長史杜淑、司馬張粲言於[广欽:009488]曰:「傳云五大不在邊,將軍起兵始爾,便遣李庠握強兵於外,愚竊惑焉。且非我族類,其心必異,倒戈授人,竊以爲不可,願將軍圖之。」[广欽:009488]斂容曰:「卿言正當吾意,可謂起予者商,此天使卿等成吾事也。」會庠在門,請見[广欽:009488][广欽:009488]大悦,引庠見之。庠欲觀[广欽:009488]意旨,再拜進曰:「今中國大亂,無復綱維,晉室當不可復興也。明公道格天地,徳被區宇,湯武之事,實在於今。宜應天時,順人心,拯百姓於塗炭,使物情知所歸,則天下可定,非但庸蜀而已。」[广欽:009488]怒曰:「此豈人臣所宜言!」令淑等議之。於是淑等上庠大逆不道,[广欽:009488]乃殺之,及其子姪宗族三十餘人。[广欽:009488]慮特等爲難,遣人喩之曰:「庠非所宜言,罪應至死,不及兄弟。」以庠尸還特,復以特兄弟爲督將,以安其衆。牙門將許[合廾:009610]求爲巴東監軍,杜淑、張粲固執不許。[合廾:009610]怒,於[广欽:009488]閤下手刃殺淑、粲,淑、粲左右又殺[合廾:009610]〔七〕[广欽:009488]腹心也。
 趙[广欽:009488]がみずから大都督・大将軍・益州牧を名乗ると、李特の弟の李庠は、兄弟と妹の夫である李含や任回・上官惇、扶風郡の李攀、始平郡の費佗、[氏一:017027]の苻成、隗伯らとともに、四千騎を率いて趙[广欽:009488]に帰順した。趙[广欽:009488]は李庠を威寇将軍とし北道を断絶させた。李庠はもともと東羌の良将で、軍法に明るく、麾幟を使わずに矛を挙げて隊列を指揮した。命令に背いた部下を〔矛で〕三人斬ると、部隊は粛然となった。趙[广欽:009488]は彼の部隊〔の軍規〕が整然としていたのを憎み、彼を殺そうと思ったが、そのことを口には出さないでいた。長史の杜淑・司馬の張粲は趙[广欽:009488]に「伝に『五大は辺にあらず』とあります。将軍は兵を起こされて間もなく、すぐに李庠に外で強兵を握らせています。〔このことを〕私は心中困惑しております。しかも彼は我々の族ではありませんから、その心も違っていましょう。みすみす軍権を他人に授けるのは、私が考えますにしてはいけないことと思います。将軍はどうかお考えください。」と言った。〔すると〕趙[广欽:009488]は顔つきを険しくして「君たちの言うことは我が意に添っている。『予(われ)を起こすものは商なり』だな。これは天が君らに我が事業を成就させようとしているのだろう。」と言った。ちょうどその時、李庠は門にいて趙[广欽:009488]に会見を求めた。趙[广欽:009488]は大変喜び、彼を引見した。李庠は趙[广欽:009488]の意思を推し量ろうとして、再拝して進み出て「今、中国は大いに乱れ、秩序がありません。晋王室は復興できないでしょう。明公(あなた)は、その道徳は天地に従っており、人徳は天下を被っています。〔王朝を創始した〕殷の湯王・周の武王のことは、〔昔のことではなく〕まさに今あることです。天の時、人の心に応じ順(したが)い、人民を塗炭の苦しみから助け出し、民心に帰するところを分からせれば、天下は安定することができましょう。ただ庸・蜀だけのことではないのです。」と言った。趙[广欽:009488]は怒って「これは人臣の言うべきところだろうか!」と言い、杜淑らに〔李庠の罪を〕議論させた。そうして杜淑らは李庠の罪は大逆不道〔皇帝・国家に対する反逆罪〕に値すると上奏し、それをうけて趙[广欽:009488]は彼を殺し、彼の子供・姪甥など一族三十余人にも〔死罪が〕及んだ。趙[广欽:009488]は李特たちが何か事を起こすことを懸念して、人をつかわして「李庠は言うべきことでないことを言った。その罪は致死に値する。〔しかし〕兄弟に〔その罪は〕及ばない」と諭させ、李庠の亡骸を李特に返した。また、李特の兄弟を督将とし、彼らの群衆を安堵させた。〔この頃〕牙門将の許[合廾:009610]は巴東監軍につくことを求めたが、杜淑・張粲はまったく譲らず、許さなかった。許[合廾:009610]は怒って、趙[广欽:009488]の寝室の脇で杜淑と張粲をみずから刃物で殺した。杜淑・張粲の側近はまた許[合廾:009610]を殺した。彼らはみな趙[广欽:009488]の腹心であった。
  特兄弟既以怨[广欽:009488],引兵歸綿竹。[广欽:009488]恐朝廷討己,遣長史費遠、[牛建:020078]爲太守李[艸必:056154]、督護常俊督萬餘人斷北道,次綿竹之石亭。特密收合得七千餘人,夜襲遠軍,遠大潰,因放火燒之,死者十八九。進攻成都。[广欽:009488]聞兵至,驚懼不知所爲。李[艸必:056154]、張徴等夜斬關走出,文武盡散。[广欽:009488]獨與妻子乘小船走至廣都,爲下人朱竺所殺。特至成都,縱兵大掠,害西夷護軍姜發,殺[广欽:009488]長史袁洽及[广欽:009488]所置守長,〔八〕遣其牙門王角、李基詣洛陽陳[广欽:009488]之罪状。
 李特の兄弟はすでに趙[广欽:009488]に対して恨みを抱いていたので、兵を引き連れて緜竹に帰った。趙[广欽:009488]は朝廷が自分を討伐するのではないかと恐れ、長史の費遠・[牛建:020078]為太守の李[艸必:056154]・督護の常俊に一万余人を率いさせ、北道を断たせた。〔彼らは〕緜竹の石亭に駐屯した。李特は密かに七千余人を集め、費遠の軍勢に夜襲をかけた。費遠軍は大いにくずれたので、〔彼らに〕火を放って焼き払った。死者は全体の八・九割にのぼった。〔李特は〕成都に進攻した。趙[广欽:009488]は兵が来るのを聞くと、恐れおののくだけでなすすべを知らない。李[艸必:056154]と張徴らは夜に関所を守る役人を斬って逃走し、文武の官僚達も離散した。[广欽:009488]はただ妻子と小船に乗り込んで広都に逃げたが、手下の朱竺に殺された。李特は成都に着くと、兵をはなって略奪させ、西夷護軍の姜発を殺し、趙[广欽:009488]の長史の袁洽や[广欽:009488]が任命した地方官長(郡太守・県令)を殺した。そして牙門の王角と李基に洛陽〔の官署〕に行かせ、趙[广欽:009488]の罪状を報告させた。
  先是,惠帝以梁州刺史羅尚爲平西將軍、〔九〕領護西夷校尉、益州刺史,督牙門將王敦、上庸都尉義[音欠:016139]、蜀郡太守徐儉、廣漢太守辛冉等凡七千餘人入蜀。特等聞尚來,甚懼,使其弟驤於道奉迎,并貢寶物。尚甚悦,以驤爲騎督。特及弟流復以牛酒勞尚於綿竹。王敦、辛冉並説尚曰:「特等流人,專爲盜賊,急宜梟除,可因會斬之。」尚不納。冉先與特有舊,因謂特曰:「故人相逢,不吉當凶矣。」特深自猜懼。
 これに先立ち、恵帝は梁州刺史の羅尚を平西将軍、兼護西夷校尉・益州刺史とし、牙門将の王敦・上庸都尉の義[音欠:016139]・蜀郡太守の徐倹・広漢太守の辛冉など七千余人を率いて蜀に入らせた。李特たちは羅尚が来ることを聞くと、大変おそれ、弟の李驤を道中で出迎えさせ、宝物を差し上げさせた。羅尚は非常に喜び、李驤を騎督とした。李特と弟の李流は、緜竹で牛肉や酒で羅尚をねぎらった。王敦と辛冉は二人して羅尚に「李特らは流民で、盗賊行為ばかりしてきました。急いで〔彼らを〕取り除くべきです。何かの機会に斬ってしまうべきです。」と説いた。〔しかし〕羅尚は聞き入れなかった。辛冉は以前、李特と交流があったので、李特に「旧友が再会すると、不吉なことが凶になる」と言った。李特は深く疑い懼れるようになった。
  尋有符下秦、雍州,凡流人入漢川者,皆下所在召還。特兄輔素留郷里,託言迎家,既至蜀,謂特曰:「中國方亂,不足復還。」特以爲然,乃有雄據巴蜀之意。朝廷以討趙[广欽:009488]功,拜特宣威將軍,封長樂郷侯,流爲奮威將軍、武陽侯。璽書下益州,條列六郡流人與特協同討[广欽:009488]者,將加封賞。會辛冉以非次見徴,不願應召,又欲以滅[广欽:009488]爲己功,乃寢朝命,不以實上。衆咸怨之。羅尚遣從事催遣流人,限七月上道。辛冉性貪暴,欲殺流人首領,取其資貨,乃移檄發遣。又令梓潼太守張演於諸要施關,搜索寶貨。特等固請,求至秋收。流人布在梁益,爲人傭力,及聞州郡逼遣,人人愁怨,不知所爲。又知特兄弟頻請求停,皆感而恃之。且水雨將降,年穀未登,流人無以爲行資,遂相與詣特。特乃結大營於綿竹,以處流人,移冉求自寛。冉大怒,遣人分[片旁:019876]通逵,購募特兄弟,許以重賞。特見,大懼,悉取以歸,與驤改其購云:「能送六郡之豪李、任、閻、趙、楊、上官及[氏一:017027]、叟侯王一首,賞百匹。」流人既不樂移,咸往歸特,騁馬屬[革建:042934],同聲雲集,旬月間衆過二萬。流亦聚衆數千。特乃分爲二營,特居北營,流居東營。
 その後まもなく秦州・雍州にお達しがあった。流民として漢川に入ったものについては、〔流民のいる〕地域の役所に命令を下して召還させる、というものだった。李特の兄・李輔はもともと郷里に留まっていた。家に戻ってくるよう言づかり蜀に行くと、李特に「中原はもうすぐ乱れるだろう。帰ってくるに及ばない」と言った。李特もその通りだと思い、巴蜀に割拠する気持ちを固めた。〔西晋の〕朝廷は趙[广欽:009488]を討った功労として李特に宣威将軍を授け、長楽郷侯に封じ、李流に奮威将軍を授け、武陽侯に封じた。璽書が益州に下った。六郡の流民で李特と力を合わせて趙[广欽:009488]を討った者を列挙させ、〔彼らに〕官位や金品を与えるというものだった。たまたま辛冉は順番通りでなく招聘されたので、それに応じたくなく、また趙[广欽:009488]討伐は自分の功績だと自負していたので、朝廷の命を握りつぶし、璽書の本当の内容を〔李特らに〕上言しなかった。皆はこれを憎んだ。羅尚は従事を遣わし流民を催促させ、七月に移動を始めさせるとした。辛冉の性格は貪欲・乱暴で、流民のリーダーを殺して彼らの資財を奪おうとし、檄(命令書)を送って使いを送り、また梓潼太守の張演に要所や関所で財宝を探させた。李特らは秋の収穫の時期まで〔移動時期を〕待って欲しいと固く求めた。流民たちはひろく梁州・益州一帯におり、雇われ労働者となっていた。彼らは州や郡がしきりに追い立てようとしていることを聞くと、みな怨みに思ったがどうしていいかは分からなかった。その一方、李特兄弟らが度々流民追放をやめるよう請願していることを知ると、感心し彼らを頼りに思った。しかも間もなく雨が降り、穀物もまだ実っていない時季で、流民たちには移動の元手がなかった。だから流民たちはそれぞれ李特の所に参じた。李特はそこで、緜竹に大陣営をつくり、流民を収容した。辛冉に〔この事態を〕容認してくれるよう文書を送った。しかし辛冉は大いに怒り、人を派遣して各街道に立て札をたてさせ、李特兄弟〔の命〕に懸賞金をかけ、高額の懸賞金も辞さないことを告知させた。李特はこの立て札を見ると大いにおそれ、立て札をすべて取って帰り、李驤と一緒にその懸賞内容を「六郡の豪族の李・任・閻・趙・楊・上官、及び[氏一:017027]族・叟族の侯王の首一つに絹百匹を与える」と変えた。流民たちはもう移動を嫌がっていたので、みな李特の所に帰順した。〔彼の元に〕馬を走らせ、矢袋をつけ、声を合わせて雲集した。〔その結果〕一ヶ月もしないうちに群衆が二万以上になった。李流も数千の群衆を集めていた。そこで李特は陣営を二つに分けることにし、李特は北の陣営に、李流は東の陣営に留まった。
  特遣閻式詣羅尚,求申期。式既至,見冉營柵衝要,謀[才合廾:012359]流人,歎曰:「無寇而城,讎必保焉。今而速之,亂將作矣!」又知冉及李[艸必:056154]意不可迴,乃辭尚還綿竹。尚謂式曰:「子且以吾意告諸流人,今聽寛矣。」式曰:「明公惑於姦説,恐無寛理。弱而不可輕者百姓也,今促之不以理,衆怒難犯,恐爲禍不淺。」尚曰:「然。吾不欺子,子其行矣。」式至綿竹,言於特曰:「尚雖云爾,然未可必信也。何者?尚威刑不立,冉等各擁強兵,一旦爲變,亦非尚所能制,深宜爲備。」特納之。冉、[艸必:056154]相與謀曰:「羅侯貪而無斷,日復一日,流人得展姦計。李特兄弟並有雄才,吾屬將爲豎子虜矣。宜爲決計,不足復問之。」乃遣廣漢都尉曾元、牙門張顯、劉並等潛率歩騎三萬襲特營。羅尚聞之,亦遣督護田佐助元。特素知之,乃繕甲[厂萬:003041]兵,戒嚴以待之。元等至,特安臥不動,待其衆半入,發伏撃之,殺傷者甚衆,害田佐、曾元、張顯,傳首以示尚、冉。尚謂將佐曰:「此虜成去矣,而廣漢不用吾言,以張賊勢,今將若之何!」
 李特は閻式を羅尚のもとに使わし、〔流民が帰還する〕期日を延ばしてくれるように頼んだ。閻式は〔羅尚のもとに〕着いた後、辛冉が要所要所に柵をめぐらせ、流民を襲おうと画策しているのを見て、「攻撃がないのに城を築けば、怨みは必ず募るだろう。現段階でこんなに早いのだから、もう乱は目に見えているな」と嘆いた。そして辛冉や李[艸必:056154]の意志が変わることのないことを悟ると、羅尚のもとを去って綿竹に戻ろうとした。羅尚は閻式に「あなたは私の意向を流民たちに告げて欲しい。いま聞き入れれば、寛大に処そう」と言った。閻式は「明公(あなた)は妄説に惑わされておられ、おそらく寛大に処理されないでしょう。弱いけれども軽視すべきでないのが民衆です。いま彼らにきちんとした道理もなく催促すれば、民衆の怒りは抑えがたく、少しの禍ではすまされないでしょう」と言った。羅尚は「そうだな。私は君を騙しはしないよ。さあ出発しなさい」と言った。閻式は綿竹に着くと、李特に「羅尚は『そうだな』と言いましたが、信じ切ってはいません。というのも、羅尚は威厳や刑罰がきちんとしておらず、辛冉たちはそれぞれ強兵を擁しています。いったん有事が起これば、羅尚には事態を収拾できないでしょう。本当に備えをするべきです」と言い、李特はそれを受け入れた。辛冉と李[艸必:056154]はともに「羅侯(羅尚)は貪欲で決断力がない。何日経っても同じままだったら、流民たちはよからぬ考えを実行することができ、李特兄弟にはみな雄才があるから、我らはやつらの虜になってしまうだろう。計画を実行に移すべきで、羅尚に相談するに必要はなかろう」と企んで言った。そこで広漢都尉の曽元・牙門の張顕・劉並らに密かに歩兵・騎兵三万を率いさせ、李特の陣営を襲撃させた。羅尚はこれを聞くと、督護の田佐を派遣して曽元らを助けさせた。〔一方の〕李特はもとよりこうなることを知っていたので、武具を修繕し、警戒態勢で彼らを待っていた。曽元らが到着すると、李特はのんびり寝そべって動くことなく、軍勢が半分入ったところで伏兵に襲撃を命じた。敵を殺し傷つけること多く、田佐、曽元、張顕を殺害した。そして彼らの首を羅尚・辛冉に届け見させた。羅尚は将佐に「奴らは去って行くんだ。それなのに広漢(太守の辛冉)は私の言葉を採らず〔に襲って〕、敵の気勢を高めた。こうなった今、どうしてよいものか」と言った。
  於是六郡流人推特爲主,特命六郡人部曲督李含、上[圭β:039361]令任臧、始昌令閻式、諫議大夫李攀、陳倉令李武、陰平令李遠、將兵都尉楊褒等上書,請依梁統奉竇融故事,推特行鎭北大將軍,承制封拜,其弟流行鎭東將軍,以相鎭統。於是進兵攻冉於廣漢。冉衆出戰,特毎破之。尚遣李[艸必:056154]及費遠率衆救冉,憚特不敢進。冉智力既窘,出奔江陽。〔一〇〕特入據廣漢,以李超爲太守,進兵攻尚於成都。閻式遺尚書,責其信用讒構,欲討流人,又陳特兄弟立功王室,以寧益土。尚覽書,知特等將有大志,嬰城固守,求救於梁、寧二州。於是特自稱使持節、大都督、鎭北大將軍,承制封拜一依竇融在河西故事。兄輔爲驃騎將軍,弟驤爲驍騎將軍,長子始爲武威將軍,次子蕩爲鎭軍將軍,少子雄爲前將軍,李含爲西夷校尉,含子國離、任回、李恭、上官晶、李攀、費佗等爲將帥,任臧、上官惇、楊褒、楊珪、王達、麹[音欠:016139]等爲爪牙,李遠、李博、夕斌、嚴[木聖:015650]、上官[王奇:021062]、李濤、王懷等爲僚屬,閻式爲謀主,何巨、趙肅爲腹心。時羅尚貪殘,爲百姓患,而特與蜀人約法三章,施捨振貸,禮賢拔滯,軍政肅然。百姓爲之謠曰:「李特尚可,羅尚殺我。」尚頻爲特所敗,乃阻長圍,縁水作營,自都安至[牛建:020078]爲七百里,與特相距。
 この時、六郡の流民たちは李特をリーダーに推した。李特は六郡の人で部曲督の李含・上[圭β:039361]令の任臧・始昌令の閻式・諫議大夫の李攀・陳倉令の李武・陰平令の李遠・将兵都尉の楊褒らに命じて上書させ、梁統が竇融を推戴した故事に従って、李特を行鎮北大将軍とし、皇帝の意を受けて〔皇帝に代わって〕爵位・官位を授けるよう,その弟の李流を行鎭東將軍とし,互いを鎮守・統轄させるよう〔朝廷に〕請わせた。そして兵を進めて広漢で辛冉を攻めた。辛冉の軍勢が〔城郭から〕出て戦うたびに、李特は彼らを破った。羅尚は李[艸必:056154]と費遠を派遣して軍勢を率いて辛冉を助けさせたが、彼らは李特を怖がって進もうとはしなかった。辛冉は策略・気力が尽きてしまい、江陽へ逃げ出した。李特は広漢〔の城郭〕に入るとそこを拠点にし、李超を広漢太守とし、さらに兵を進めて成都で羅尚を攻めた。閻式は羅尚に手紙を送り、讒言を信じて流民を討伐したことを責め、また李特兄弟は王室のために功を立て、益州の地を安定させようとしていることを述べた。羅尚は手紙を読んで李特らが大志を抱いていることを知ると、城郭にひきこもって固く守り、梁州・寧州に救援を求めた。そこで李特は使持節・大都督・鎮北大将軍を自称して竇融が河西にあった時の故事通りに皇帝に代わって爵位・官位を授けた。〔その結果、〕李特の兄の李輔は驃騎将軍に、弟の李驤は驍騎将軍に、長子の李始は武威将軍に、次子の李蕩は鎮軍将軍に、少子の李雄は前将軍に、李含は西夷校尉に任命し、李含の子の李國離・任回・李恭・上官晶・李攀・費佗などは将帥と、任臧・上官惇・楊褒・楊珪・王達、麹[音欠:016139]たちは爪牙と、李遠・李博・夕斌、厳[木聖:015650]、上官g、李濤、王懷たちは僚屬と、閻式は謀主と、何巨、趙肅は腹心とした。当時、羅尚は貪欲・残忍で民衆に憎まれていた。他方、李特は蜀の人々に法三章を約束し、貧しい人に施し貸し与えたり、賢者を礼遇し落ちぶれた人を抜擢し、軍規や治世も粛然としていた。そのため民衆は「李特はいいのに、羅尚はうちらを殺す」と謡った。羅尚は幾度も李特に敗れたため、長く続いた堤防を利用して、水路に沿って陣営を作り、都安県から[牛建:020078]為郡までの七百里で李特と対峙した。
  河間王[禺頁:043599]遣督護衙博、廣漢太守張徴討特,〔一一〕南夷校尉李毅又遣兵五千助尚,尚遣督護張龜軍繁城,三道攻特。特命蕩、雄襲博。特躬撃張龜,龜衆大敗。蕩又與博接戰連日,博亦敗績,死者太半。蕩追博至漢徳,博走葭萌。蕩進寇巴西,巴西郡丞毛植、五官襄珍以郡降蕩。蕩撫恤初附,百姓安之。蕩進攻葭萌,博又遠遁,其衆盡降於蕩。
 河間王の司馬[禺頁:043599]は督護の衙博・広漢太守の張徴を派遣して李特を討伐させた。また南夷校尉の李毅は五千の兵士を派遣して羅尚を助け、羅尚は督護の張亀を派遣して繁県の城郭に駐屯させ、三方向から李特を攻めた。李特は〔子の〕李蕩と李雄に衙博を攻撃させ、自身は張亀を攻撃した。張亀の軍勢は大敗した。李蕩は衙博と連日のように接戦を繰り広げたので、衙博も敗れ、大半の死者を出した。李蕩は衙博を漢徳まで追いつめ、衙博は葭萌に逃げた。李蕩はさらに巴西郡へと進攻し、巴西郡の丞の毛植・五官掾の襄珍は郡を挙げて李蕩に降った。李蕩は初めて帰順した郡に対して物を恵み与え救済したので、民衆は安堵した。李蕩は葭萌に進攻し、衙博はさらに遠くへと逃げ、彼の軍勢はすべて李蕩に降った。
  太安元年,特自稱益州牧、都督梁益二州諸軍事、大將軍、大都督,改年建初,〔一二〕赦其境内。於是進攻張徴。徴依高據險,與特相持連日。時特與蕩分爲二營,徴候特營空虚,遣歩兵循山攻之,特逆戰不利,山險窘逼,衆不知所爲。羅準、任道皆勸引退,特量蕩必來,故不許。徴衆至稍多,山道至狹,唯可一二人行,蕩軍不得前,謂其司馬王辛曰:〔一三〕「父在深寇之中,是我死日也。」乃衣重鎧,持長矛,大呼直前,推鋒必死,殺十餘人。徴衆來相救,蕩軍皆殊死戰,徴軍遂潰。特議欲釋徴還[シ倍:017575],蕩與王辛進曰:「徴軍連戰,士卒傷殘,智勇倶竭,宜因其弊遂擒之。若舍而寛之,徴養病收亡,餘衆更合,圖之未易也。」特從之,復進攻徴,徴潰圍走。蕩水陸追之,遂害徴,生擒徴子存,以徴喪還之。
 太安元年(三〇二)、李特は益州牧・都督梁益二州諸軍事・大将軍・大都督を自称し、年号を建初として、領内に大赦を出した。そして張徴を攻めた。張徴は高くて険しい地勢に頼って李特と連日対峙した。当時、李特と李蕩の陣営は分かれていた。張徴は李特の陣営が手薄なのを窺い知ると、歩兵を派遣して山に沿って攻めた。李特は迎え撃ったが、不利な状況だった。山の険しさは差し迫り、軍勢はどうしていいか分からなかった。羅準と任道は〔李特に〕退却を進言したが、李特は〔子の〕李蕩がきっと来るはずだとふんだので、退却を許さなかった。張徴の軍勢は次第に多くなり、山道も次第に狭くなって人が一人か二人通れるくらいであった。そのため李蕩の軍は進むことができなかった。李蕩は司馬の王辛に「父が深く敵の中にいる。私の死ぬときだ」と言った。そして鎧を重ねて身につけ、長矛を携えて、大声を出して一気に〔敵勢へ〕進み、矛を推しだして決死の覚悟を決め十数人を殺した。張徴の軍勢はさらに来て助け合った。李蕩の軍勢はみな命を賭けて戦い、張徴の軍はとうとう壊滅した。李特は、張徴を釈放して[シ倍:017575]県に戻らせようと相談したが、李蕩と王辛は彼の前に進んで「張徴の軍はしきりに戦い、士卒は傷つき、知力・気力ともに尽きています。この疲弊に乗じて張徴を虜にすべきです。もし彼を捨ておいて寛大に処したら、徴は病人を養い死者を回収し、他の軍勢を合わせてしまうでしょう。〔そうなっては〕対処しようとしても生易しいものではありません」と言った。李特もこれを受け入れ、再度張徴を攻めたので、張徴は包囲を解いて逃走した。李蕩は水陸両方から彼を追いつめて、殺害した。張徴の子の張存を生け捕りにし、張徴の亡骸を彼のもとに戻した。
  以騫碩爲徳陽太守,碩略地至巴郡之[執土:005420]江。
 〔李特は〕騫碩を徳陽太守とした。騫碩は巴郡の[執土:005420]江県まで占領した。
  特之攻張徴也,使李驤與李攀、任回、李恭屯軍[田比:016752]橋,以備羅尚。尚遣軍挑戰,驤等破之。尚又遣數千人出戰,驤又陷破之,大獲器甲,攻燒其門。流進次成都之北。尚遣將張興偽降於驤,以觀虚實。時驤軍不過二千人,興夜歸白尚,尚遣精勇萬人銜枚隨興夜襲驤營。李攀逆戰死,驤及將士奔于流柵,與流并力迴攻尚軍。尚軍亂,敗還者十一二。晉梁州刺史許雄遣軍攻特,特陷破之,進撃,破尚水上軍,遂寇成都。蜀郡太守徐儉以小城降,特以李瑾爲蜀郡太守以撫之。〔一四〕羅尚據大城自守。流進屯江西,尚懼,遣使求和。
 李特が張徴を攻めていた頃、彼は李驤・李攀・任回・李恭に[田比:016752]橋に軍を駐屯させ羅尚に備えさせた。羅尚は軍を派遣して戦いを挑むと、李驤らはその軍勢をうち破った。羅尚はさらに数千人を繰り出して戦ったが、李驤はまたその軍勢を陥れてうち破り、兵器を甲冑を取り、門を攻めて焼いた。李流は成都の北に進軍した。羅尚は将の張興にわざと李驤に投降させてその様子をうかがわせた。当時、李驤の軍勢は二千人に満たず、張興は夜に戻り羅尚に報告した。羅尚は精兵一万人に木片を口に含ませ興に従わせて李驤陣営を夜襲させた。李攀は迎撃して戦死し、李驤と将士は李流のとりでに逃げ込み、李流と力を合わせて羅尚の軍を攻めた。羅尚の軍は乱れ、敗走して帰還できた者は一、二割だった。晋の涼州刺史の許雄は軍を派遣して李特を攻めたが、李特は陥れてその軍勢をうち破り、さらに進撃して羅尚の水上の軍勢を破り、そのまま成都へ侵攻した。蜀郡太守の徐倹は成都の小城を挙げて投降し、李特は李瑾を蜀郡太守とし慰撫させた。羅尚は成都の大城に立てこもって守った。李流が江水の西に進軍すると、羅尚はおそれて使者を遣わして講和を求めた。
  是時蜀人危懼,並結邨堡,請命于特,特遣人安撫之。益州從事任明説尚曰:〔一五〕「特既凶逆,侵暴百姓,又分人散衆,在諸邨堡,驕怠無備,是天亡之也。可告諸邨,密剋期日,内外撃之,破之必矣。」尚從之。明先偽降特,特問城中虚實,明曰:「米穀已欲盡,但有貨帛耳。」因求省家,特許之。明潛説諸邨,諸邨悉聽命。還報尚,尚許如期出軍,諸邨亦許一時赴會。
 この時、蜀の人々は今後を危ぶみ、みな村落やとりでを作り、李特に命を請うた。特は人を遣わせて彼らを慰撫させた。益州従事の任明は羅尚に「李特は悪逆で、民衆を暴虐を働いています。また手勢を分散して村落やとりでに配置しており、驕り備えをしていません。まさに天が彼を滅ぼそうとしているのです。各地の村落に、秘かに期日を決めて内外から攻めようと告知すれば、彼らを必ずうち破れるでしょう」と説き、羅尚はこれを聞き入れた。任明は先に李特に偽って投降した。李特が〔成都の大〕城の中の様子を尋ねると、任明は「穀物はすでに底をつきかけています。財貨と布帛があるだけです」と言い、ついでに家に帰ることを願い、李特はこれを許した。任明は隠密に各地の村落に説き、すべての村落がその命を聞き入れた。〔任明は〕戻って羅尚に報告し、羅尚は期日に軍勢を繰り出すことを認め、各村落もまた、その時に軍勢に加わって決起することを許した。
  二年,惠帝遣荊州刺史宋岱〔一六〕、建平太守孫阜救尚。阜已次徳陽,特遣蕩督李[王黄:021242]助任臧距阜。尚遣大衆奄襲特營,連戰二日,衆少不敵,特軍大敗,收合餘卒,引趣新繁。尚軍引還,特復追之,轉戰三十餘里。尚出大軍逆戰,特軍敗績,斬特及李輔、李遠,皆焚尸,傳首洛陽。在位二年。其子雄僭稱王,追諡特景王,及僭號,追尊曰景皇帝,廟號始祖。
 二年(三〇三)、恵帝は荊州刺史の宋岱・建平太守の孫阜に羅尚を救援させた。孫阜がほどなく徳陽に駐屯すると、李特は〔子の〕李蕩の督の李[王黄:021242]・助の任臧を派遣して孫阜に対峙させた。羅尚は大軍を派遣して李特の陣営を急襲し、二日連続で戦った。李特の軍勢は少なくてはむかえず、大敗した。残兵を収拾して退いて新繁県に向かった。羅尚の軍が引き返すと、李特は追いかけて三十里余りにわたって戦い、羅尚は大軍を出して迎撃したため、李特の軍勢は敗北した。〔羅尚は〕李特や李輔・李遠を斬り殺し、その屍を焼き、首を洛陽に送った。〔李特の〕在位は二年であった。その子の李雄が王を僭称すると、李特を追諡して景王とし、皇帝を僭称すると追尊して景皇帝、廟号を始祖とした。

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2001.04.20:第一版。
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