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update:2021.01.11 担当:劉 建
晋書巻九十五
列伝第六十五
芸術
本文

各種の術数や技芸の術が興って以来、既に久しい。前代の君王はこれらを用いて疑い躊躇していたことを決断し、吉凶を定め、生死を判断し、災難や幸福を明らかにした。神と知恵は過去を記憶し、未来を予知する、と言う(1)。密かに神明は天から〔天子たるべき人に〕めでたい兆しを授けると、これを助け補佐して、人事を成し遂げる。利を興し害を除くと、その威を衆人に振るって権威を築くことができるが、鬼神や禍福に関する道理を用いて教化を実施すると、〔衆人が〕従うと言われるのは、大方この点である。しかし、名目に託つけて怪異で荒唐であることに近づき、現実離れで荒唐であると、遡って根源を追及するのは困難であり、法術はあれこれと繁雑なことが多く、変化は確かに一種に限らないので、真実の物が存在しても、しかし、その中で偽物も驥尾に付した。聖人は不思議な力について語り論じなかったが(2)、確かに原因がある。左丘明が一番先に不思議な夢を記述して、文字に残しておくことを始めたが、司馬遷はこれを継いで始めると、卜筮を援用して伝記を書いたので、これより以後、歴史は書物として絶えなかった。漢の武帝は神仙の術を非常に好んだが、世祖〔光武帝〕は取り分け予言術に熱中したので、それで文成(3)や五利(4)が悪賢く、寵愛や栄誉を得るのを恣にさせて、尹敏(5)、桓譚(6)は時勢に逆らったために酷い目に遭ったが、これは固より学者が騙されてしまったので、千慮の一失であった!

各種の術数、或いは儒学以外の学説や技芸を周到詳細に観察すると、これを捨てるにはもしかしたら惜しいかもしれないと、保存されて来たのも恐らく、常例に合わなかったからだろう。書物ができるだけ範囲を広くするようにする以上、著述は当然、詳細かつ周到であるべきで、晋ではこれを「乗」と呼んで、規範はこの中に存在した。いま太陽や月、五惑星の運行を計算にもっとも精妙な者や記載するに値する技能を持つ者を採録して、「芸術伝」とし、それによって前史を整備するのである。

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