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update:2021.01.11 担当:劉 建
晋書巻九十五
列伝第六十五
卜珝
人物簡介

卜珝(272〜312)は字を子玉といい、匈奴後部の人である。若い頃から好んで易経を読み、自分の運命についても知っていた。龍門山に隠棲を願ったが、劉聡に招聘されて太常となった。永嘉六年(312)、使持節・平北将軍に任命されて晋陽を攻めるが、劉琨に敗れて配下が敗走したため、鎮北将軍の靳沖に誅殺された。

本文

卜珝(1)は字を子玉といい、匈奴後部の人である。若い頃から好んで易経を読み、郭璞は会うと嘆いて言った。「私の及ばない〔すばらしい〕人物だが、残念ながら兵厄を免れることができないだろう。」卜珝は言った。「その通りです。私は大厄が四十一歳の時にあり、官位が九卿や将軍であれば、きっと災難に遭うでしょう。そうでなくても、猛獣に殺されるでしょう。私にもあなたが天命を全うできることが見えていません。」郭璞は言った。「私の災難は江南にあり、このことについて激しく思い巡らしても、いまだに免れる兆しは見えないということです。と申しましても、南にあればまだ延命できますが、こちらに留まれば歳月の命すら危ういでしょう。」卜珝は言った。「あなたが官吏にならないようにすれば、それを免れることができます。」郭璞は言った。「私は官吏になるのを免れることはできません。あなたが九卿や将軍となることを免れることができないのと同じことです。」卜珝は言った。「この地には帝王の子孫がいらっしゃるだろうが、私は再び二京(洛陽と長安)を奉ずることがないだろう。琅邪王(司馬睿)は推戴すべき値のある方なので、あなたは謹んで琅邪王を奉じましょう。晋の祭祀を〔受け継いで〕司るのは必ずこの人(司馬睿)だから。」卜珝は結局龍門山(2)に隠遁した。

劉元海(劉淵)が皇帝を僭称すると、〔卜珝は〕大司農・侍中として召し出されたが、病気を理由に固辞した。劉元海は言った。「人にはそれぞれ考えがある。卜珝が私の朝廷に出仕するのを望まないのは、どうして高祖の時の四公と異なるであろうか(3)!その高潔な志を成し遂げさせるべきだろう。」後に光禄大夫として再び召し出されたが、卜珝は使いの者に言った。「私の死に場所ではない。」劉聡が偽りの帝位を継ぐに及んで、召し出されて太常となった。当時劉琨は并州を拠点としていて、劉聡はいつになったら平定できるのか尋ね、卜珝は答えて言った。「并州は陛下の分野ですので、今年并州を攻略するのは確実です。」劉聡は冗談めかして言った。「朕は先生に行っていただく骨折りをお願いしたいのですが、可能ですか?」卜珝は言った。「私が衣装すら整えず急いできたのはまさに今回の出征のためです。」劉聰はたいへん喜んで、卜珝を使持節・平北将軍に任命した。出発間際に〔卜珝は〕妹に言った。「今回の出征で私が死んだらそれは私の天分で、その後くれぐれも取り乱さないようにしなさい。」晋陽を攻めると、劉琨に敗れ、卜珝の兵卒が先に敗走したので、〔卜珝は〕指揮官(鎮北将軍の靳沖)によって殺害された(4)

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