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update:2021.04.12 担当:永一 直人
晋書巻九十六
列伝第六十六
慕容垂妻段氏
人物簡介

慕容垂の妻の段氏(?〜396)は字を元妃といい、前燕の右光禄大夫の段儀のむすめである。慕容徳の妻の段季妃の姉。年若いときからしとやかでかしこく、高い志をもっていた。後燕世祖の慕容垂が燕王を称すると、慕容垂の後妻となり、慕容垂が皇帝になると、皇后となった。太元二十一年(396)、慕容垂が死に慕容宝が位を継ぐと、慕容宝から死ぬよう迫られ、自殺した。

本文

慕容垂の妻の段氏は、字を元妃といい、偽朝(前燕)の右光禄大夫段儀のむすめである(1)。年若いときからしとやかでかしこく、高い志をもっていた。いつも妹の季妃に「わたしはどう終わっても凡人の妻にはなりませんよ」といっていた。季妃もまた「わたしもやはりふつうの男の妻にはなりませんとも」といった。隣人はこれを聞いて笑っていた。慕容垂が燕王を称すると、元妃をおさめて後妻とし、こうして格別の寵愛があった。偽朝の范陽王の慕容徳もまた季妃をめとった。姉妹はともに慕容垂、慕容徳の妻となって、ついにその志のとおりとなった。慕容垂(後燕世祖)が帝位を僭称したのち、位をいただいて皇后となった。

慕容垂がその子の慕容宝を立てて太子とすると、元妃は慕容垂に「太子の姿質はゆったり落ちつきはらっていて、優柔不断であり、平和な治世を受け継ぐならば情け深く道理のとおった君主となりましょうが、危難のときに世を救う英雄ではありません。陛下は大業をかれに託そうとなさっていますが、わたしはかれに勝ち気な美点を見たことがありません。遼西と高陽の二王(慕容農と慕容隆)は、陛下のお子のうちの賢者であり、ぜひとも一人を選んで後継者に立てるべきです。趙王慕容麟は、よこしまでずるく謀反気があって、いつも太子を軽んじる気持ちを持っています。陛下がある日お隠れになられれば、必ずや災難を引き起こしましょう。これは陛下のお家のことであり、ぜひこのことを深慮なさってください」といった。慕容垂は受けいれなかった。慕容宝と慕容麟がこのことを聞くと、深く恨みに思った。その後、元妃はふたたびこのことを言うと、慕容垂は「おまえはわたしを晋の献公(2)にさせたいのか?」といった。元妃は泣いて引き下がり、季妃に告げて「太子がよくないのは、群臣の知るところです。それなのに主上がわたしを驪戎の女(驪姫)と比べるなど、なんとつらいことでしょうか!主上のご長寿の後には、太子は必ずや社稷を滅ぼしましょう。范陽王(慕容徳)はふつうでない器量をもっており、もし燕の命脈がまだ尽きていなければ、かれは帝王となっているでしょうか!」といった。

慕容垂が死に、慕容宝が偽帝の位を継ぐと、慕容麟を派遣して元妃にせまって「后はいつも後継ぎが大統を守ることができないと主上にいっていましたが、今はけっきょくどうなっているでしょうか?早く自殺なさって、段氏〔一族に罪を連座させず、一族の身〕を全うなさるがよろしいでしょう。」といった。元妃は怒って「おまえたち兄弟は母にせまって殺そうとするほどだから、どうして社稷を保って守っていくことができようか!わたしは死を惜しんだりはしないが、国が久しからずして滅びるのを心配するだけだ」といって、とうとう自殺してしまった。慕容宝は、元妃が嫡統を廃そうと謀り、母后の道にかなっておらず、国葬をおこなうべきではないと発議した。群臣はみなそのとおりだと考えた。偽朝(後燕)の中書令眭邃が朝廷で勇ましくも「子が母を廃する前例がないとはいいますが、後漢の安思閻后(3)は順帝によりみずから廃されながら、それでも安皇(安帝)とともにまつられました。先の皇后の言の虚実はなおさら知ることができませんので、閻后の故事のとおりになさるがよろしいでしょう」といったので、慕容宝はこれに従っ〔て母后をまつっ〕た。その後、慕容麟がやはり乱を起こし、慕容宝もまた殺され、慕容徳(南燕世宗)もまた尊号を僭称し、とうとう元妃のことばのとおりになった。

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