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update:2021.05.10 担当:劉 建
晋書巻九十五
列伝第六十五
索紞
人物簡介

索紞(生没年不詳)は字を叔徹といい、敦煌郡の人である。陰陽学や天文学に精通し、術数や占いを得意とした。占いは、予言が外れることはなかった。司徒から召集されて郎中に任命されたが、戦乱を予知して帰郷した。敦煌太守の陰澹により西閣祭酒に任命されたが、辞退して家で卒した。享年七十五。

本文

索紞は字を叔徹といい、敦煌郡の人である。若い頃は都に遊学し、太学に進学して師について学ぶと、経書を広範に研究し、ついに学識が深くて広い大学者になった。索紞は陰陽学や天文学に精通し、術数や占いを得意とした。司徒は索紞を召集し、郎中に任命すると、索紞は中原において間もなく戦乱になろうとするのを知り、俗世間を離れて、故郷に帰った。索紞に占いによって吉凶を尋ねる故郷の来訪者が多くて賑やかになると、索紞は言った。「正統ではない研究をすると、用心しても自分に害があります(1)ので、余計なことはしないようにして、余計なことをすれば、災いを招くことになります。」それで見せかけで根拠のないものであれば、いい加減にあしらわれ、予言が的中しないと、人々は来なくなる。夢占いは後悔して恨むことはないので、それこそ占う人を罰してはならない。

孝廉の令狐策は氷の上に立つ夢を見ると、氷の下の人と話をした。索紞は言った。「氷の上は陽であり、氷の下は陰であるので、これは陰と陽の間の事であります。若い男性がもしも妻を娶るならば、間もなく氷が融ける頃であり、これは婚姻の方面の事であります。あなたが氷の上と氷の下の人の話をすれば、陰と陽の話し合いであり、これは仲人の事であります。あなたが間もなく他人の仲人をすると、氷が融ける頃には結婚するでしょう。」令狐策は言った。「老人は老いて、仲人は出来ないでしょう。」ちょうどその時、太守の田豹は令狐策がその息子が同郷の張公徴の娘に求婚するのを許す所を通ると(2)、〔二人は〕陰暦の二月に結婚した。郡主簿の張宅は馬に乗って山を駈け登る夢を見て、家の周りを三回まわり、慎んで松や柏を見ると、門はどこにも見えなかった。索紞は言った。「馬(午)は離に属し、離は火を表わします。火は禍であります。人が山に登ると書いて、『凶』の字となります。慎んで松柏を見るとは、墓の入り口の象を表わします。門が分らないとは、門がないことです。三周回るとは、まる三年のことです。〔従って〕三年後に必ず大きな災難に遭うでしょう。」張宅は果たして謀反によって死刑に処せられた。索充は最初、天から索充の目の前に二つの棺桶が下がっている夢を見た。索紞は言った。「棺は官職の事であり、間もなく都の貴人があなたを推薦するでしょう。二つの官職とはとても速く二度、官位が上がる事でしょう。」間もなく、司徒の王戎は手紙を書いて、太守に索充を推薦する様に言いつけると、太守は先ず索充を功曹に任命し、さらに孝廉に任命した。索充はその後、捕虜(奴隷)が上着を脱いで、索充を訪ねた。索紞は言った。「『虜』の字の上半分を取り除くと、下半分は『男』の字であります。夷狄は陰の類に属しているので、あなたの奥さんは間もなく男の子を産むでしょう。」結果は索紞の言う通りであった。宋桷(3)は内室(寝室)で赤い服を着た人の夢を見て、宋桷は手の中に二本の杖を持つと、赤い服を着た人を容赦なく打った。索紞は言った。「内室(寝室)の『内』の字の中に人があると、『肉』の字であります。肉は赤い色です。二本の杖とは箸の象を現わします。容赦なく打ったとは、肉をたらふく食べるという事です。」すぐにも予言した通りになった(4)。黄平は索紞に尋ねた。「私は昨晩、家で飼っている馬が踊って、数十人が馬に向かって拍手している夢を見たのですが、何の兆侯でしょうか?」索紞は言った。「馬(午)は火であり、踊るとは火が起こる事です。馬に拍手をする人とは消火をする人の事です。」黄平はまだ家に帰らずにいたが、火はすでに起こった。索綏は東の方にある二巻一組の本が索綏の所に着く夢を見ると、大きな巻はすでに腐り、小さな巻は『韋』と題した皮袋の飾りがあり、一冊は前方に、もう一冊は後方に在った。索紞は言った。「大きな巻が腐るとは、腐った棺桶の事です。小さい巻は書名を書いて貼ってある紙片があり、題の意味は到達した場所の事です。一冊は前方、前とは凶を意味し、一冊は後方、後ろとは背中を意味します。間もなく凶の知らせがあるでしょう。」当時、索綏の父親は東方に居り、三日経つと、索綏の父親の訃報が伝わった。郡の功曹の張邈はかつて使節として州内へ行くよう命令を受けると、夜に狼に脚(足)を咬まれる夢を見た。索紞は言った。「脚の肉を食べられるのは、退却の『却』の字の意味であります。」ちょうど東方の蛮族が謀反を起こしたため、行けなくなった。索紞の占いは、予言が外れることはなかった。

太守の陰澹は索紞に占いの書を要求すると、索紞は言った。「昔、太学に入学すると、老人を主人として頼り、この老人は博学であり、また姓名は匿名であり、隠者のようでありましたので、私はすぐに老人に夢占いの術の教えを請いました。〔老人の〕説明を研究はしましたが、実際には〔占いの〕書などありませんでした。」陰澹は索紞を西閣祭酒に任命したが、索紞は辞退して言った。「私は若い時には決して隠逸の志などありませんでしたが、都に着いて遊学すると、時の賢人と付き合い、私のささやかな才能を発揮できるようにと望みました。ちょうど中原が平穏ではなくなると、一生涯、静かに休養するつもりでした。私もすでに老いてしまい、出世を求めません。しかも、私は若い頃は勤勉ではなかったし、年を取った上、役人の才能などありませんので、老年なって、あえて任務を受けるつもりはありません。」陰澹は索紞に絹を送り、礼をもって待遇すると、毎月、羊と酒を届けた。索紞は七十五歳の年に、家で卒した

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